湖の妖魔 6
まだ夜も明けきらぬ頃、幸村の屋敷に王からの使いが訪ねてきた。
寝ていたところを起こされた幸村は不機嫌さを隠そうともせず、夜着の上に上着を羽織っただけの姿で王の使者を部屋に通した。
こんな早朝に人を寄越すなんてロクでもない話しに決まってる、その幸村の予感は的中した。
王の甥が湖の妖魔に襲われて水の中に引き込まれた。
森まで供をしていた使用人の老人がそれを目撃して、命からがら湖に1番近かった村に助けを求めたのだという。
報せを受けた甥の母はすぐさま王である兄に我が息子の危機を伝えた。
王は城に常駐していた兵を森へ送り込み、それだけでは心許ないと考えたのか騎士達の家へも使いを出した。
そのうちの1人に選ばれたのが幸村だ。
使いから話を聞いた幸村の頭はすぐに覚醒した。
湖の妖魔は蓮二に他ならない。
まだ戻っていないといういけ好かない甥の生死などどうでも良く、むしろあんな屑の如き輩はこの世から去ってくれれば万々歳だと常々思ってはいたものの、蓮二が絡んでいるならこのままにしてはおけない。
大方蓮二を珍しい動物扱いで捕らえようとして反撃されたのだろうが、王が出てきたのはまずかった。
森へ兵を送り込んでからどのくらい時が経っているだろうか。
蓮二が水の中にいてくれればそう簡単に見つけ出すことはできないだろうが、いつもの調子で水面に上がってこないとは言い切れない。
幸村は王に仕える忠臣の顔を作り、使者にすぐ自分も湖へ向かうと告げる。
役目を果たして安堵を浮かべた使者を半ば追い出すように玄関まで送ってから急ぎ仕度を始めた。
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白々と夜が明けていくのを蓮二は真田と一緒に眺めていた。
元々それほど口数の多くない真田はただ黙って傍に座っている。
明け方の冷気を気遣っているのか、時々擦るような動きをする手が蓮二の肩を抱き寄せていた。
真田の腕も、背を預けている胸も暖かく、それだけでずいぶんと気持ちが落ち着くのを蓮二は不思議に思う。
人間という生き物が嫌いだった。
横暴で自分勝手で傲慢、まるでこの世界は人間の為だけにあるという振る舞いをする。
野の獣を面白いという理由だけで追い回して狩り、不要なものをわざわざ産出しては森や湖を汚す。
できることなら関わりを持ちたくなくて避けていたが、さすがに住処である湖を汚されると黙ってはいられない。
人間達を湖に引き込んで溺れ死にさせることに罪悪感を感じたことは無かった。
いままでは。
人を水に誘い込み死なせるところを真田に見られた。
我が身を守る為とはいえ人間に害を為したことには変わらず、つまりそれは真田と交わした約束を破ったことになる。
その場で斬られるのだろう、と思った。
逃げる術はあった。
蓮二の歌は人を惑わせ、意のままに操ることができる。
だが、真田に対してその術を使う気はなかった。
真田と幸村は今まで会った人間達とは違った。
もしかしたら人間ではなく自分と同じ妖魔なのではないかと疑ったほどだ。
度々湖を訪れる2人と会っているうちに、水の中に居る時や静かな森の木陰に居る時と同じように心地よく感じていることに気づいた。
帰って行く時は気持ちが沈み、これが寂しいということなのだと知った。
その2人との約束だから人に害を為さないということを守ろうと思った。守りたかった。
だが守れなかった。
斬られることを覚悟した。
真田は剣を抜かなかった。
物思いに耽っていた蓮二が顔を上げる。
真田も同様にひとつの方向に視線を向けていた。
まだ姿は見えていないが蓮二の耳には馬が駆ける音が聞こえ、真田はこちらに向かってくる人の気配を感じ取っていた。
僅かの時を置いて森の奥から馬が駆け出してくる。
騎乗していた幸村が真田と蓮二に目を留めて馬の手綱を引いた。
「蓮二!良かった、間に合った」
素早く馬から降りた幸村が鞍から荷を外して蓮二の傍へと駆け寄ってきた。
「・・・何事だ、幸村」
「話は後だ。時間が無い。蓮二、暫くの間、我慢してこれを着て」
訝しげに口を開いた真田を制して幸村が荷を解く。
中からは幸村のものであろう、1人分の服が出てきた。
いつもの余裕が感じられない幸村の物言いに切迫したものを感じた蓮二が黙って頷く。
蓮二に慌しく服を着せた幸村は最後に靴を履かせると真田に向き直った。
「蓮二を連れて北の国境にある山へ向かえ。山の中腹に小さい湖がある。あそこなら滅多に人が来ない」
「何があった」
「王の甥が湖に引き込まれた。王は兵を出して蓮二を探してる」
「・・・!!」
「急げ!森の北側から抜けるんだ」
「・・・わかった」
真田は木に繋いでいた馬の縄を解くと先に蓮二を乗せた。
続いて自分も乗り、蓮二にしっかり掴まっているよう促して馬首を北へ向ける。
「・・・精市、」
不安気な目を向けた蓮二の手を取って幸村は笑う。
「俺の心配はいらないよ、蓮二。こっちが片付いたら後を追うから待ってて。真田、行け!」
真田が振り返り目顔で頷く。
目立たないように森の中を疾駆していく馬を見送って幸村はほっと息を吐いた。
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