久しぶりに旧友と会って映画の話をすると、「おまえ、映画に興味があったっけ!?」 と不思議な顔をされます。そしてまず間違いなく「どうしてロケ地を見るために 台湾に行くことになったの?」と尋ねられます。
このページでは、私が侯孝賢作品に出会った経緯や作品に寄せる思い、 ロケ地巡りを始めるまでの出来事など、自分自身のことについて書いています。 1991年の春から翌年の夏までの出来事です。
白状しますと、私は映画館に足を運んだことが数えるほどしかないのです。 私が育ったところは大阪の郊外ともいえる奈良県内のニュータウンで、映画を 観るには電車に乗って奈良市内か大阪へ出掛けなければなりません。半ば必然的に 映画館へ行く、という習慣は持ちませんでした。レンタルビデオという便利な システムが普及していますが、生来ものぐさ人間の私は借りに行ってまた返しに 行くというのさえ億劫に感じます。それ以前に、そんな手間をかけるほど観てみたい 作品がなかったのです。結果、映画との付き合いは、TVで一方的に流れてくる映画番組を暇にまかせて 観る程度のものだったのです。正直なところ、映画に対する興味はほとんど ありませんでした。
侯孝賢作品との出会い
1991年春、日本触媒という企業のCFがTVで流れました。雨が降る ローカル線の小さな駅が舞台でした。情感豊かな一つのドラマがわずか30秒間に 描かれていて、このCFが流れるたびに私は画面に注目させられました。 ビスタサイズで編集されているのも印象的でした。(このCFに「天地有情」と タイトルが付けられていることを知ったのはずっと後のことです)
ここに登場する風景、人物、列車がいずれも日本的でしたので、私は何の疑いも なくロケ地は日本のローカル線だと思っていました。旅好きな私は、次第に この風景を実際に見てみたくなり、撮影された場所を調べ始めたのです。 TVに映る風景を見て旅に出たくなったのは初めてのことで、それほどこのCFは 私の心に響いたのです。
間もなくいくつかの情報が得られました。ロケ地は台湾(!!)場所は平渓線の 十分駅、撮影したのは侯孝賢(ホウ・シャオシェン)という映画監督・・・。 それらの情報は私にとって少なからず意外な内容でした。侯孝賢の名もこのとき 初めて知りました。海外旅行に出かけたことがなく海外に興味がなかった私に とって、ロケ地の風景を見るため台湾へ行くことはそう簡単に実現できることでは ありませんでした。やがてCFの放映回数も減り、この時の思いは記憶の片隅に 追いやられてしまいました。
侯孝賢作品との出会い、再び
それから1年ほど経った1992年春、かつて一緒に仕事をした勤務先の先輩から 一本のビデオテープが届きました。映画好きの彼女とチョウ・ユンファについて 電話で話したのがキッカケでした。「この作品も面白いですから観てください。 一緒に余計な映画も入ってますが、眠くなるのでみない方がいいですよ」と書かれた 手紙が添えられていました。テープの最初に入っていた香港映画を観終わり、そのまま再生を続けていると 次の作品が始まりました。「みない方がいい」とのことでしたが、 暇だったこともあってついでに観ることにしました。作品の冒頭、暗い画面に 田舎の風景が映り、中国語とおぼしき言葉でナレーションが流れます。直前の 香港アクション映画と比べ、ずいぶん台詞が少なくて確かに眠くなりそうです。
台湾映画らしいその作品をしばらく何気なく観ていると、画面の風景に湿った 風が流れ、樹木の発する青臭い香りを感じさせられました。「この雰囲気は、 いつかどこかで観たことがある・・・」ふと、気になってテープを巻き戻し、 冒頭のクレジットを確認しました。そこにはまさしく「導演/侯孝賢」と 書かれていたのです!!「童年往事」というこの作品を、私は食い入るように 最後まで観通しました。
先輩にテープを返却する際、私は「童年往事」の感想をしたためて添えました。 私が映画に興味がないことを知っている彼女は、余分に入っていた作品の感想文を 受け取って少なからず驚いたようでした。しばらくして彼女は「冬冬の夏休み」 「恋恋風塵」のテープを借りて送ってくれました。添えられた手紙には「どうして 侯孝賢のことを知っていらっしゃるのか、不思議です」と書かれていました。
「冬冬の夏休み」について
私は子供の頃、夏休みになると父の実家で過ごしていました。大阪の天王寺駅から 急行列車に乗って2時間半、紀勢本線の南部駅で降ります。冬冬のおじいさんの 家は駅のそばですが、私の田舎はずっと山奥の村です。短くて2週間、長ければ 1ヶ月も親元を離れて伸び伸びとしていました。地元の子供たちと川で泳いだり木に登ったり、ときには悪さをして毎日を過ごした ものです。「冬冬の夏休み」に描かれている物語は私の体験と重なる部分が実に 多く、あの頃の記憶がよみがえって懐かしさを感じさせられます。
「恋恋風塵」について
冒頭、真っ暗な画面の奥に光が見えて次第にそれが大きくなりトンネルだと 気づきます。かつて観たNHKの「ドラマ人間模様 夢千代日記」の冒頭も 山陰本線で同じように撮影されており、それを思い出します。続いて映る小さな 駅は、アングルこそ違いますが日本触媒のCF「天地有情」と同じ平渓線の 十分駅です。主人公のワンが就職して夜学に通うシーンで「天地有情」にも 使われた陳明章の曲が流れ、この作品が「天地有情」のモチーフであることを 確信させられます。幸か不幸か私はワン君ほど激しい失恋を体験したことはありませんが、なぜか この作品には強く共感を覚えました。今でもいちばん好きな作品です。
やっぱり、台湾へ行きたい!
「天地有情 −日本触媒CF−」「童年往事」「冬冬の夏休み」「恋恋風塵」の 4作品を観た私は、そこに描かれている風景にすっかり魅せられていました。 景色が美しいだけではなく、湿気を含んだ風や木や草の匂い、人々の生活感までも 画面から伝わってくるようでした。当時は正確な位置さえ知らなかった台湾とは いったいどんな所なのか、どんな人が住んでいるのか、人々は何をして どんなふうに暮らしているのかと興味が次々と沸いてきました。
ある日私は書店へ行き、台湾の地図を買ってきました。「天地有情」「恋恋風塵」の 十分駅、「冬冬の夏休み」の銅鑼(トンロー)・・・作品の風景を思い浮かべながら 何度も地図を眺めました。地図には付録として簡単な旅行ガイドがついており、 それらを見ているうちに、やはり実物の風景を自分の目で見たくなってきました。
1992年5月頃、思い切って学生時代の先輩に電話を入れました。彼は旅行会社に 勤めており、パスポートの取り方から現地情報まで私の相談に乗ってくれました。 旅の準備と並行して、作品を何度も繰り返し観てロケ地を推理したり画面を写真に 撮るなど資料作りも行いました。出発前にはロケ地の地理を記憶してしまうほど でした。
1992年8月7日、荷物と不安を抱えた私は生まれて初めて大阪伊丹空港の 国際線ロビーへ向かったのです。
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