十五夜にうごめく影。麻生・宮部・藪井の三人は、怨霊の噂が絶えない糒蔵の櫓へ侵入し、地下の土壁を破った。濛々たる土ほこりの 中に、黒塗りの鎧櫃が二領あった。
足柄連峰早雲寺では、新藩主の遺臣に対する厳しい目を押しきった硬骨派によって、故主の法要がいとなまれていた。法要参会の人別は 氏直の一族、老臣重臣である。その中には左衛門太夫氏勝、風魔小太郎の名もあった。
氏勝は戦さ半ばにして小田原城を離脱した裏切り者である。案の定、山上主税助顕時に絡まれた氏勝であったが、小太郎が割って入る ことによって事なきを得る。小太郎達には面妖であった。氏勝はなぜ出したくもない面を出したのか?
一方、いよいよ小太郎が邪魔になってきた氏勝は、雪姫を拉致し麻生右源太と合流した。氏勝の目的は二十余万両を運び出す事である。 雪姫を人質にとった氏勝は、小太郎達の追跡を振り切るのであった。
法要の済んだ小太郎と狂ノ左次馬、蠍ノ剛蔵は高野山へ向かい、途中、黒衣の僧に出会い氏直は里へ下ったとの情報を得る。氏直の 消息は嘘ではなかった。体力の衰えた氏直は厳冬に耐えきれず、山麓に居を移したのである。
異変が起きた。秀吉が高野へ巡察の使を派遣せんとす情報がはいった。小太郎は大阪へ飛び、真意を探り出したが、氏直のことではなく 高野山寺領の不正を糺す使者だったのである。異変は小太郎の留守に起こった。
留守を預かった蠍ノ剛蔵がどのくらいであったか、湯浴みする女に気をとられた。その後小太郎が戻って間もなく、氏直の寝所に忍び 寄る二つの影があった。氏直の髷をつかむや、心ノ蔵を一刺し。あまりにあざやかな事務的な行為。氏直の断末魔のもがきが、呼鈴に触れ、 小太郎はがばとはね起き駆け込んできた。
小太郎は黒い影が氏直のからだから飛び上がるのを見た。氏直に添い寝していたお利影がそこで目を覚まし、小太郎の姿を見た。お利影 は小太郎をくせ者と思ったのである。勘違いだ。が、血をしたたらせ脇差が柱に突き刺さっていた。それは、昨日拝領した来国俊で あった。
陳弁する小太郎。大阪へ潜行中に盗まれたのである。剛蔵は何をしていたのだ。立場の悪くなる小太郎であった。剛蔵は切腹の許しを 求めたが、小太郎は許さなかった。おのれのワザをもって、冤罪を霽らせと。
あの忍びを捕らえるしかない。忍びは敏捷さ、小柄さから女忍の見方がでてきた。すると結びつくのは剛蔵をたぶらかしたあの女。 さらに入浴中に脇差を盗まれたことから、仲間がいること。男女一対なら諜報活動が楽になることから見て、もう一人思い出すのが謎の 黒衣の僧であった。
そして何よりも、指嗾したのは誰か?氏直の家系を根絶やしにして得をする者。氏勝か、氏規、さもなければ徳川家康!
氏直が死んだ今、家名を存続させるには誰かを家督に立てなければならない。まだ氏直の死は秘してある。そこで病身ではあるが、末弟 の氏定を家督に立てた。氏定は秀吉に拝謁するために天野を発足した。
氏定の行列は老臣重臣、足軽小者など合わせて三十余名。その一行を待ち伏せる伊賀者の男女。小太郎の睨んだ通り男女の組み合わせ、 あかねとひびきノ玄十は火術を仕掛けていたのである。
行列の先頭が、爆薬の埋めた地点に達したとき、火口に点火するや火花が土の中にもぐった。轟ッ!鼓膜を殴りつける大音響。 「やった!」玄十は満足の笑いを洩らす。だが、得意顔が一瞬こわばった。やり損じた。先頭の足軽がその地点に足を印したときに点火 したのだが、蠢く多勢の影。
「見たぞ、伊賀流火術!」濁煙に声があがる。玄十が爆破したのは一種の蜃気楼であった。気象的条件を得て、風魔忍法は幻夢を生ぜ しめた。濃霧の朝、旭光の照射したとき、草原にむすんだ露に映じ、冷気と陽炎の間に事象の浮影するを見る。即ち、三十人の影が倍増 して見えたのである。
火術を破られ追い詰められる玄十。そんな玄十を助ける為か、あかねが飛び出し氏定に襲い掛かり、その隙に玄十は逃走に成功。 あかねを見た剛蔵は瞠目してあかねを追う。あいつだ!必死の追跡も、するするとかわす軽捷なあかねは、大池に飛び込み、剛蔵を 返り討ちにする。心の蔵を貫く短刀、だが剛蔵の執念は、あかねの髪に両手を絡めてはなさなかった。
両手首を髪にぶら下げたまま、水面に顔を出したあかねは狂ノ左次馬に捕らえられ、天野へと連れて行かれる。一方、無事に京へ着いた 氏定であったが、不快という理由で秀吉に目通り出来なかった。手をまわしたな…。徳川家康の妨害が直感された。一同はすごすごと 引き退くしかなかった。
天野へ戻り、数日後。夜半に突如として玄十は暴れ牛の大群を率いて襲撃してきた。牛の背には火薬と薪が積んである。屋敷はたちまち 火と煙に包まれ、あかねを救い出されてしまった。小太郎は玄十の右脚を斬り落としたが、恐ろしい執念。片脚で飛ぶように逃げられ、 ついに見失ってしまうのであった。
氏勝の屋形でも異変が起きていた。雪姫救出に派遣された風魔忍者は三名。流れノ宇一、さかほこ可内、八丁ノ藤次である。 藤次は雪姫を救出するために、附け女のお安に手をまわしていた。
氏勝は鉄炮足軽を鼓舞して射撃訓練をしていた。そこへ佐倉の城主久能宗能がやってきて、鷹野に誘われる。謀叛の疑いを掛けられること を恐れた氏勝は断れず鷹野へ出かけ、豪雨に足止めされた。
雨と闇の中、お安は氏勝がいないことを見計い、雪姫を連れ出した。藤次に引き渡すはずであったが、女買いに売ってしまう。怒った 藤次はお安に淫ノ法・淫魂之曲をかけ、雪姫の売り渡し先である虎落ノ弥五七の居所を吐かせる。佐倉の連雀町。 藤次は瞬後に疾走していた。
雪姫を直接引き取った虎落の二人の仲間のうちの一人、惣兵衛の家へ来た藤次であったが、すでに虎落が雪姫を連れ去ったあとであった。 宇一と可内は虎落のもう一人の仲間、天童の情婦の家を見張っていたが、三人は成田街道を西へと飛ぶ。
その一刻ほど前、藤次がお安に淫ノ法をかけているころ、雪姫を風魔に奪い返されたと思い込み、二十万両が気がかりでならなく なった氏勝は、二十万両を移動させ、そして風魔小太郎を始末する為に徳川の重臣本多佐渡守正信に頼んで、伊賀者を廻して貰うように した。
金の心配がなくなった氏勝、山西弾正、金貝弥九郎の三人は酒を汲んでいたが、突如、闇の声がした。伊賀者だ。三人が驚いたのは (――もう到着したのか?)その迅速さだった。そして小太郎ほか重だった者の始末を依頼する。
「幾らじゃナ」闇は答えた〈一万両〉一万!〈高くはない!二十万両からすればナ〉知っている!三人はぎくりとした。どこまで知って いるのか?烈しい否定が走る氏勝に対し、山西は先々かれらを必要とすることもあると促し、氏勝はしぶしぶ承引したのであった。
伊賀者は八人、首領格の柘植三之丞は輩下の一人、小角を連れ、お安の家で虎落らの情報を手に入れると、それらを追うため 志津ヶ原へと向かう。そのころ虎落、惣兵衛、天童は金のもつれで仲間割れとなっていた。虎落は二人を斬り、雪姫を連れ去った。 斬られ、傷の手当てをする二人の前に浮かんだのは三個の影。藤次たちであった。
藤次たちは天童らから、雪姫が虎落に連れられ神田郷芝崎へ向かったと聞き出すと、地上の闇を裂いて西へ走った。途中、馬がいた。 あの馬を使って…刹那待っていたかのような、手裏剣の雨。宇一が倒された。伊賀者に囲まれたのである。藤次は相手の人数を確認すると、 地雷火を使った。大音響とともに、火柱が天に昇る。伊賀者には自爆したと見えた。
うしろ飛びに爆風の落石を避ける伊賀者たち、しかしその爆破源を中心に周りを囲んだのは十人。爆破とともに伊賀者に紛れたのである。 柘植三之丞は小角に嗅がせた。体臭で見分けるのである。小角に礫がとんだ。爆破源からだ。「まだ居たのか!?」三之丞の合図で降り そそぐ手裏剣の雨。三之丞の目は闇を透かし見まわしている。九人の内、二人は手をぬくはず…。
だが九人は一様に手裏剣を飛ばしている。非情な風魔忍者。三之丞は一弾指遅れて手裏剣を飛ばした影へ向かって、手裏剣を投げた。 その影は身を翻したのである。「奴だ」なかまうちに紛れこんでいたのに、その時まで気付いていなかった伊賀者たちには狼狽があった。 一斉に襲い掛かるが三人返り討ちにされる。
望みを得た藤次は、逃亡に転じ、あの馬へ飛び乗ると走り始めた。二頭のうち、葦毛は伊賀者によって倒され、鹿毛は狂ったように 走り去る。伊賀者は鹿毛を追い、去った。その姿を見送る目が、葦毛の腹のかげにあった。藤次である。藤次は忍び文字によって雪姫の 行方を紙片にしたためると、鳩の脚に結びつけ、籠から解き放った。鳩は西の空へ高く小さく飛び去って行く。「頼むぜ…」藤次は鳩の かげが見えなくなると、よろよろと崩れ落ちた。
江戸神田郷、伊賀忍者水すましとみだれの二人がいた。二人は確認した、風魔小太郎が来ることを。そして高野聖に扮した小太郎は来た。 木戸で警戒していた足軽たちに伊賀者の合図により襲われる。投火玉が小太郎を襲い、炸裂した。群集の目は見た。ぶっ倒れた小太郎以下 三人を。
だが高野聖と見えた三人は、黒衣をまとった同輩であった。しかし水すましは、三個の影が車の下をくぐり、屋根を越すのを見た。 水すましは海中に沈み水路を利とし、後を追う。
本町四丁目に御薬五霊香という目薬屋がある。この店の裏手に小太郎は吸い込まれた。下女が腰をぬかしそうになった。主の太郎右衛門 が小太郎を出迎え、下女は井戸端へ戻る。下女はサグリだったのである。下女は買い物にでもでるように出て行った。
その一刻ほど前、鷹野に興じていた久能宗能は、愛鷹の捕らえた鳩に目をとめた。脚に結びつけられていた紙には、不可解な文章。宗能は 急に馬を走らせ、江戸の板部岡江雪斎の元へ向かった。
一方、正体を悟られたと気付いた風魔十人衆の一人、鈍甲ノ又市は下女を追うが返り討ちにあう。そして下女お六は仲間の鎌隼へ、小太郎以下 数名が五霊香へ入ったことを報告すると、店へ戻る。鎌隼は又市の死体を探っていると、その姿へ白い珠のようなものが追いすがった。 白粉が飛散する。白光を叩きつけられた鎌隼の姿はキラキラと光る。襲ったのは風魔の金作である。
逃げられぬと悟った鎌隼は白刃を煌かせるが、金作の投げ火によって火達磨となる。先の白粉には火薬硝石が多く含まれていたのだ。 止めを刺した金作は手早く死体を埋めると、小太郎たちへ報告した。お六は目立たぬように始末せねばならぬとなった。
翌朝、江雪斎の家来七左衛門と心中死体となってお六は発見された。裏切り者の江雪斎の家来として七左衛門は選ばれたのである。 話が前後するが小太郎たちがお六の処置を勘考しているころ、宗能は江雪斎の元へ到着した。
宗能は江雪斎にれいの紙片を見せ、これが風魔の隠し文字だということを知る。突如、江雪斎の白刃が屋根を貫いた。転がり落ちる小角。 小角はそのまま逃げた。われらを窺うとは…、宗能は風魔だと思ったのだが、江雪斎は違ったようである。ともあれ、隠し文字の方は、 江戸神田芝崎のもがりにきけ、ということがわかり宗能は立ち去った。
江雪斎は暫く沈思したあと、一筆したため本多佐渡のもとへ向かわせたが、翌日心中死体で見つかったのである。「まさか!」落着かなく なった江雪斎は、小姓の右京に芝崎のモガリの探索に向かわせた。右京が出てゆくのを見送る目があった。小角である。
さきに宗能がモガリに逢っていた「北条の風魔が聞くことがあるそうな」宗能はそう言ってモガリの反応を見た。明らかに顔色が 変わった。宗能は謎めいた微笑を残して帰った。一日も早く雪姫を金にしてしまわねば危ない。そして翌日右京が来た。
詰問するはずの右京が逆に襲われた。小角は屋根から見ていた、女に男でなくて、男に男。そんな目があるとは知らず、右京の襟を ひきはぐ虎落。その変態的な刺激にそれまで不能であった虎落の男のいのちが甦った。狂喜した虎落は右京のことも忘れ、ぐったりしてい た雪姫に襲い掛かったのである。
右京は逃げた。そして雪姫も窓枠から逃げようとしたが、裾がからみ虎落がさっと手を伸ばす。刹那、するどい痛みが腕に走った。 十字手裏剣である。小角は雪姫が脱出するのを、これ幸いと、さらったのである。小角は手近の寺に駆け込み、雪姫を六角堂に押し込め 三之丞の元へ向かった。だがこれを見張る目があったのである。
見張っていたのは、宗能の近習桜井某であった。六角堂に入った桜井は雪姫を救い出そうとしたが、扉を開く紐が切り落とされており、 閉じ込められた。小角がまだいたのである。小角は桜井を縛り上げると、宗能の配下であることを聞き出したあと出て行き、 三之丞へ報告した。「でかした」三之丞は腰を上げた。三之丞と一緒にいた女、菊乃はひそかにそのことを半蔵屋敷に注進すべく家を出た。
三之丞と小角が出てから四半刻の後、菊乃は小太郎を呼び出した。小太郎は罠と知りつつも、雪姫のために独りで牛ヶ首へやってきた のである。菊乃は酒を用意して待っていた。しきりに酒を勧める菊乃。雪姫のことを聞きだそうとする小太郎。どこやらの寺にいると聞き だしたのだが、やがて菊乃は酒を口に含むと、唇を寄せてきた。含み酒の口うつし。小太郎はぐたりとなった。
歯の間に隠していた痺れ薬の酸漿。だが小太郎は気付いていた。菊乃を斬った小太郎は飛来する手裏剣をかわしながら、窓から飛び出し、 草むらの敵の首をはねるや二丈の崖を飛び降りた。
一方、雪姫は生きるか死ぬか、二つに一つ、火をつければ煙が洩れて助けだされるかもしれないとし、一分の望みにかけ、燈明皿の魚油 を扉に垂らした。たちまち燃え上がる炎の美しさ。炎は天井にたちのぼった。雪姫はじっと炎を見つめたまま、心に念じていた。
小太郎は迫りくる影を倒しながら、雪姫を救うことを考えた。ただ、寺、とだけでは見当のつけようもない。小太郎は水中に身を沈め 身を隠すが、そこに潜んでいたのは水すまし。水すましは忍び刀を抜き放ち、巨大な鱶のように飛びついてきた。小太郎は身をのけぞらし ながら、抜き討った。水すましを退けた小太郎は、そのまま逃げると見せかけ、菊乃の家へ忍び込んだ。
そこには別の影、伊賀者がいた。「雪姫の居場所を洩らすのではないかと、はらはらしたぞ」「あたしは大丈夫、神田の浄王寺、六角堂 のことは、決して…」「たわけ、口が腐ってもいうなと」しかし遅かった。伊賀者の胸に切っ先がのぞいた。背後から刃が貫いたのである。 居場所を聞いた以上、もはや用はない。小太郎は死にかけの菊乃を捨て置き、浄王寺向かった。
六角堂は凄まじい炎を吹いて、いまにも崩れ落ちんばかりであった。「雪!」よろめく小太郎。そのとき背後に迫る殺気を感じた。 「お雪さま、助けられましたぞえ」そう聞こえた。姿はみえなかった。だがそれは本当であった。二町ほど離れたところで手当てしている という。「小太郎様!」美しい顔が、煤けたまま、雪姫はすがりついてきた。「おお!」言葉もなく、抱きしめる。小太郎の胸にあるのは、 おのれの微力さへの慙愧である。
小太郎は五霊香増田屋太郎右衛門へ千両持参するよう一書をしたためた。焼けた六角堂の坊主たちを納得させるためである。その千両が 来るまでに、またもや魔手は忍び寄った。湯殿で煤と汗で汚れた体を洗い流していた雪姫は、女忍あかねに眠らされ《淫水卍》によって 姿を写しとられた。そして、それを見ていた三之丞、小角にさらわれる。氏勝に渡して金にしようというのだ。
小角は雪姫を担いで走りだした。三之丞も数間おくれてゆく。二、三町行ったあたりで、浮かび上がった影に行く手をさえぎられた。 伊賀者である。小角は裏切り者として早くも見つかったのだ。三之丞は見つかったと気配で知るや、早々に身を晦ましている。 小角は逃れるために《黒疾風》を使った。奇声とともに左右にはじけ、一塊は三塊となり、さらに三塊は左右に分身の濁煙を散らし、 九個の濁煙が走った。
しかし、《黒疾風》は伊賀者にあっては、熟知した忍法《一体分身》の章に於ける《八方乱曲》の応用にすぎない。先を読み、草むら から踊りあがった影が、拝みうちの一刀を浴びせる。小角ははね跳び、なにがしの股から胸へ掬い斬りに裂くと、松の梢へと姿を消す。 あざやかな飛翔を見せる小角に飛び交う手裏剣の雨。
そんな中、闇からふいに踊りだした者が、二人を一撃で倒し、雪姫をさらって走ったのである。三之丞かと思われたその影は、風魔であ った。枯れ草が燃え上がった。その影を追って火の中に飛び込んだ伊賀者は卍手裏剣を喰らって叩きつけられた。「追え、追え」 みだれが喚いたが、小角と風魔では勝手が悪い。あきらめざるを得なかったが、仲間ののどぶえが居ないことに気が付いた。
死体の中にはない。そののどぶえ藤市は七、八町離れたところに卍手裏剣を全身に喰らい、這っていたのである。一人でぬけがけに 追ってきたのだ。のどぶえは仲間に知らせるため、呼笛を吹いた。咽喉から血があふれ、音色を奪った。絶望が胸を浸した。(―― とどかぬ…)霞んだ目の中に黒い影が浮かび上がった。その影は近寄ってきて〈のどぶえ、か〉と、言った。
その少し前、雪姫に化現したあかねは、横になり小太郎が来るのを待っていた。その床下にいたのは火引きノ玄十。呼笛の音が聞こえた。 ただちに玄十はその場所へ向かった。のどぶえのところである。玄十は雪姫が奪い去られたことを聞くと、忍び刀でのどぶえの顔を 切り刻み、黒い粉をふりかけ燃やした。
あかねのもとへ小太郎が来た。あかねの”雪姫”のほうから誘った。小太郎もそれに呼応してきた。が、愛し合う男女の初心の姿では なかった。小太郎は小太郎ではなく風魔十人衆、霧ノ丹八だったのである。「畜生!」あかねは化けの皮をかなぐりすてて、鎧通しを 抜き夜衾から飛び出したが、一条の紐があかねの首を捉え、息が詰まった。
〈力を抜け〉その声にあかねは力を抜き、丹八の方へ引き寄せられる。刹那、油断した丹八の両眼を飛来した二つの火の玉が焼いた。 のけぞって、手を放す。次の瞬間、突風のように玄十が現れ、あかねを連れ去った。小太郎が飛び込んできたのはそのときだった。 まさか他の手が侵入して来ようとは、またもや玄十はあかねを救出したのである。
五霊香増田屋太郎右衛門方が、町奉行の急襲を受けたのは半刻ほど後。風魔小太郎、増田屋に隠れ居り候と、知らしてきた者があった。 与力、同心らは土足のまま座敷の中へ入り、懸命の捜索にもかかわらず、風魔一党の姿はなかった。雪姫も消えていたのである。
小太郎たちは江戸を出て、東へ向かっていた。江戸を脱出するというのではない。下総へ乗り込んで二十万両を奪取する。その目的へ、 雪姫は自ら申し出たのである。「あたくしで出来ることなら」「やってくれるか」小太郎らは岩富へ乗込むのであった。そして二十万両を 狙う、三ノ丞、小角。さらには玄十、あかねまでが氏勝のもとへ忍びよる。
はたして、二十万両を奪取するのはいったい誰なのか!?伊賀者どもとの決着は…!!
きた!ついにきた!白熱する忍び同士の死闘。これを待っていた。特筆すべきは、雪姫を追っていた藤次、可内、宇一が三之丞、小角ら 伊賀者八人に襲撃される場面である。戦闘シーンというのは、割と割愛されたり、印象に残らなかったり、すぐに終わってしまうことが 多い。だがここは違う。
三人対八人の複数同士、暗闇、爆破、目くらまし、礫、狂い火竜、斜視狼狽のワザ、飛び交う手裏剣と忍者なら ではの攻撃がてんこ盛りだ。大人として日本の現代社会を生きる我々カタギには、相手の命を奪い合う戦闘というものには、ほぼ縁がない (今のところはである)。
だがこの時代にはあった。カメハメ波とか気を放出したり、手から炎やら何やら出てくるものではない。 鮮麗された知識と、極限まで鍛え上げられた肉体からのみ生まれ出る、真の技である。興奮。この一言に尽きる。我々の中に流れる、 動物的本能がこの思いを掻き立てるのだろうか。
だから忍者は良い。現代の忍者像は人間の極限形態なのではないか。自分の全ての技能を鍛え上げることは難しいが、得意な能力だけ でも極限まで鍛えたいものである。大体こいつら、いつ手裏剣投げの練習してるのか?忍びの仕事も忙しいだろうに、そうとう修練 積まないと当たらないぞアレ。まあ、うまくやり繰りしているに違いない。そういうことにしておこう。見習うべきだな、そう俺だけ じゃあない、お前もだ。
小説ではよくあるのだが、話が中途半端に終わっているケースが多い。この小説もそうだと思うのだが、どうだろう。大人の事情で 無理やりまとめたのだろうか、テレビアニメ等ではスポンサーの付く付かないの関係で、無理やり終わらせるケースは多々ある。 月刊誌に連載されたもの、と後記にあるからない話しではない。
それとも読者側に自由に思いを巡らせるように仕掛けた、著者の技なのであろうか。いずれにしろ、 家康はかなりの老体になるまで生きているし、徳川幕府は長いこと続くわけで、史実に基づくならば、家康を斬るという小太郎の最終的な 目的は達成できなかったということになる。
もちろんこの話は創作であるから、史実をちょっとねじまげて、実は家康は早くに亡き者となっていた、 とすれば続きは創れなくもない話である。しかし、それでは歴史自体を全否定することになる。だが有り得ない事でもない。こうなると きりがないのだが、この小説は氏勝との決着で幕を閉じている。その後の北条家の事を考えれば、ここで終わるのが妥当であるとも思える。
一つの話の中に、すべての結論を要求することは愚な行為なのかもしれない。与えられるだけでは、ただ飼われているペットと変わりない。 自ら考えて何かを掴み、違う何かを生み出すことにより、人は成長していくものだ。その何かというものを見出すのは生半には行かない だろう。この小説もそのキッカケを得るには十分であったと思える。
この小説をもとに、俺はインスピレーションを高め、この忍者マニアックスに情熱を燃やす。その色は、いつの日か見た夕陽の、 赤き炎に良く似ている。
| なんか手裏剣とか売ってたよ!伊賀流忍者店! |
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