大和の柳生と伊賀の服部、相争う両国の関係は千年の宿敵。この悪縁を断つには両者の混血しかない。1390年、室町時代の物語。
今まさに両国による祝言が行われようとしていた。伊賀の三姉妹、双羽、環、お鏡。柳生の三兄弟、舟馬、七兵衛、又十郎。 だが、嫁にゆくか、婿にゆくかで話が揉めた。
そこで花婿花嫁で交合させ、終えるや鏡を花嫁の口にあて、首飾りを男のものにぶらさげる。 鏡は花嫁のはげしい息で曇るが、その曇りが消えて顔がうつるまでに、男のものは首飾りを持ち上げられるかどうか。持ち上げたら花婿 の勝ち。そのまえに鏡に花嫁の顔がうつったら、花嫁の勝ちという。
伊賀には世阿弥ひきいる菊水党、柳生には中条兵庫頭長秀ひきいる大塔衆が現れ、祝言を辞めるよう言ってきた。菊水党は楠木の者だと いう。楠木はこの南北朝の南朝の裏切り者で、世阿弥は北朝足利公方おかかえの能楽師であるが、祖母が楠木の一族である。 そんな彼らが南朝への罪滅ぼしのために、忍びの術をもって南朝を守りたいという。
一方中条兵庫頭は剣法をもって北朝に仕える身で、大塔衆は大塔の宮のお曾孫姫君に仕える者である。中条と大塔衆に縁があるのは、 大塔の宮が鎌倉に幽閉されたとき、その世話をしていたのがこの兵庫頭の父御であったからである。だが大塔の宮が殺害されたとき兵庫頭 の父は外出中であったそうな。罪を感じた中条家はその後、姫宮とそれを守る大塔衆に心を通じている。
最近の噂では南朝が京に帰り北朝と合体するという。大塔衆はこれを南朝の敗北とみる。姫宮はこれを許せぬと・・・・・・。 そのようなことになるならば、三種の神器は北朝へは渡せぬと。
神器はいま吉野の行宮に護持されている。万一のときはそれを奪いたてまつれ。やむを得ずんば、打ち砕け。柳生は三種の神器を奪うため の協力を求められたのである。
双羽、環、勝負に負けて伊賀に来た七兵衛は菊水党による忍法修行を。舟馬、又十郎、勝負に負け柳生に来たお鏡は大塔衆による剣術修行 を、それぞれ受けることになる。柳生の三人は修行の為、京へ。
この年の秋、将軍義満が兵庫頭に楠木の鏡を見せよといってきた。鏡はお鏡が嫁入り道具として伊賀から持たされたものである。 以前道場を訪れた今川了俊から聞き、妻の産所に置くためにお鏡と共に持って行くというのだ。断りはするものの、相手は将軍である。 結局、康子夫人の侍女としてお鏡はついて行くこととなる。
一方、服部方でも修行が始まる。六無の修行。すなわち、無色、無形、無跡、無声、無息、無臭。それもただ、南朝の神器を護るため―― 修行も或る段階に入った頃、京にいた世阿弥から連絡が届く。お鏡と菊水の鏡が花の御所へ召されたという。その鏡取り返さねばなるまい。 忍法修行の成果をためすときがきたのである。実戦でなくては真の力量もつかない。菊水党らは伊賀の三人を連れ京へ。
将軍義満は後円融上皇の愛妾按察の局に手をだした。上皇が怒ったのは当然ながら、局がいずこかへ出奔してしまう。 義満は管領細川頼之の 北朝の旗をみずから汚す愚行をいさめられ、上皇に陳謝するに至った。上皇は義満に対し、局を探し出すよう命じた。だが局は見つからず、 義満は局に似ていたお鏡を送ることにしたのだ。
「わしが按察の局のからだを知ったのはこの春、しかももとより上皇のお手のついたもの。そしてわしが手をつけたものを上皇に返す。 それであいこじゃ」
傍若無人にお鏡を引きずり寄せ、唇を吸おうとした。お鏡はくらくらっとした、恐怖と怒りと恥ずかしさと。そんな中、だれか叫ぶ声が した。
「お鏡っ、お鏡はどこにいる?お鏡は無事か。―――」
又十郎の声だ。お鏡は走った。 そのどさくさに紛れて、天井をぶち抜いて落ちてきた五人の黒装束。 「いや、申し訳ない。力の配分を誤った」尻もちをついたのは七兵衛であった。
柳生兄弟が押しかけてくるよう中条家へ投げ文したのは 菊水党である。奪うべきものを奪った際、嫌疑をそちらへむけるための忍びの一法。 菊水党と七兵衛らは鏡を奪い、逃げた。
菊水の鏡が御所から消えた―――。当然疑いをかけられたのは柳生兄弟。だが鏡を奪ったのは無数の黒装束。伊賀の面々に間違いない。 将軍家はお鏡はそのままにしてよいが鏡は探し出してこいという。将軍家が兵を出せば済むことなのだが、証拠がない。
そこで、その役は柳生兄弟とお鏡に任せられた。道場の修業には限度がある。そろそろ実地に試みる時だと。その時、ふいに庭で大声が 聞こえた。大塔衆らの声だ。月光の中にじっと立つ影を見つけた。
「これは失敗の例」黒装束の男は、ぽんと座ると刀を置き、首と胴を 前に折り曲げ、おのれの男根をつかみ出し自分でなめはじめた。大塔衆らがあきれたのは一瞬であった。怪しの影はそのまま転がって 逃げていくではないか。
「待てっ」大塔衆山国軍兵衛は長剣を一閃させるが・・・・・・!?
いよいよ始まる菊水党と大塔衆の激突!複雑に絡み合った柳生兄弟と伊賀姉妹の命運はいかに・・・・・・!!
話が分かりにくいかもしれないが、ようは北朝は足利、南朝は後醍醐系で、菊水党と大塔衆はいずれも南朝方なのだが、南朝が北朝と 合体する際に、菊水党は何があっても南朝と三種の神器を守ろうとする保守派で、大塔衆は負けて奪われてしまうくらいなら三種の神器を 破壊してしまえという過激派である。
それぞれのリーダー格である世阿弥と中条兵庫頭は、いずれも北朝方であるが南朝にも縁があるということである。
その三種の神器の争奪戦を巡り、巻き込まれた伊賀と柳生には、それぞれ忍法と剣術が菊水党と大塔衆によって伝えられ、伊賀忍法と 柳生剣術の発祥とし、繰り広げられる忍法対剣術の全面対決。そこに表現されるのは山田風太郎独特の男女の絡みと性の描写。 普通の人では発想しないであろうその描写は、もはや変態の域を凌駕している。下ネタもここまでくると感嘆するしかない。
話の序盤のしとね勝負については、嫁にやるか婿にやるかの揉め事で、なぜか男女を交わらせ、その後、女の顔に鏡を近づけ、その吐息で 鏡の曇りが残っている間に、男のものに首飾りを掛け、持ち上げられるか否かで勝負を決める。 すなわち精力の強く残っている方の勝ちという、すでに方法がおかしい。
もっと直接的な解り易い言い方をすれば、セックスをした後に男のチンチンに首飾りをかけて、女の興奮が 納まらないうちに勃起で首飾りを持ち上げられるかどうかと言うことです。バカですね〜。これを何の迷いも感じさせずに、これだけの 話に盛り込ませられると、おお〜っなんかすごい勝負だ、と引き込まれてしまうところが鬼才山田風太郎の成せる業である。
しかも、柳生の剣術の方は、至って普通というか、真面目な、ちゃんとした凄い剣術の技なのだが、やはり忍法となると普通じゃない。
双羽の忍法は服を着たままで、相手に自分の裸体を透かし見せるという忍法おぼろ月。環の忍法は掛け声だけで相手を射精させる忍法 弓張月。七兵衛の忍法は自ら自在に射精して狙ったところに命中させるという忍法伊賀の水月。
山田風太郎小説のコメントでは毎回言ってるような気がするが、これを忍法の枠に入れていいのかという、一見、ものすごくアホな技だが、 実はどれも恐ろしい忍法だ。
実際、自分が刀を握り、命のやり取りをしていたとして、相手が綺麗な女性でいきなり服が透けて きて真っ裸に見えたらどうだろう。大きく動揺したりしなかったとしても、気にならないといえばウソになるだろう。そこに隙ができる。 おぼろ月は使える忍法だ。
さらにすごいのは、弓張月。やってやるぜ!とカッコよく構えている時に、「忍法弓張月」との掛け声で射精 してしまう自分を想像してほしい。隙どころじゃないぞ、大変だこりゃ!プライドもボロボロになっちゃうぜ。
さらにさらに恐ろしいのは、伊賀の水月。相対する男が下半身丸出しで精液とばしてくるとこ想像してみろ。やめろバカっ!汚ねえだろっ! てことになるぞ。さらに相手は狙いを定めることが出来るのだ。お、お口だけは勘弁してくれっ・・・・・・、まさに地獄絵図。
―――とまあ、しょうもない例え話が出てしまったが、実際、話の中でこれらの忍法を使って大塔衆たちを倒してるからね。 いたって大真面目な真剣勝負でこの緊張感の中、異常な忍法の妙技を味わう。これがこの小説の面白いところだからな。
下ネタばかりピックアップしてしまったが、下ネタ小説ではない。三種の神器争奪戦を通しての、人はなぜ争わねばならないのかという 大きなテーマがある。
そもそも三種の神器とは何なのか? 三種の神器とは天照大神より伝えたまう八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) である。天皇の即位の際に引き継がれるもので、その性質上、一般に公開されるようなものではなく、その存在すら怪しい。
そこで三種の神器について兵庫頭が語った興味深い言葉がこれ、
「その尊さは、そのもの自体にはない。ものを超えたところにある。恐れながら三種の神器は、見ようによっては天皇さまより尊い。 天皇さまはときにお誤りになることもあろうが、神器は無過失の聖具じゃ。天皇とは、三種の神器を捧持あそばすお方、と申しても よいほどである」
つまり重要なのは、三種の神器は物質としての価値ではなく、神から賜われた聖具であるという、どこぞの誰かが決めたその設定 であり、日本の帝である天皇が所持するものだからすごいのではなく、三種の神器を捧持するものであるから天皇が日本の帝なので ある、といっても過言ではないといっている。
三種の神器自体は存在しなくても、その設定さえ生きていれば問題ない。存在すら確認できないのにそこにあるもの、それが三種の神器 である。
実体の見えないものの為の戦い。意地、誇り、信念、地位。人それぞれ護るものは違えど、人はこれを失くしては自分が自分で なくなってしまうというものが必ずあるはず。
しょうもない意地かもしれない、ちっちゃい誇りかもしれない、チンケな信念かもしれない、 薄汚れた地位かもしれない。だがそれを護る為、もしくは奪う為に人は争う。 争うことは人として生まれたからには、誰でもが背負う義務なのかもしれない。
スポーツは健康的だが、他人を蹴落とし、押しのけて自分が頂点を目指すのが目的。社会では、より良い成績を残す者が地位と名誉を 手に入れる。
より上を目指せないものは、目指せないなりに自分や家族を守る為に戦っていかねばならない。 どんなに働いても給料が同じという社会主義的な国はほとんど崩壊している。争うことは社会の一部となっているのだ。
争いのない生活は人を堕落させるが、争いは人を成長させる。 争いの中でしか生まれないものもある。争いの中でしか発展しにくいものもある。そこで発生した忍術と剣術は幾多の悲劇を乗り越え、 成長していく。
なにも人殺しだけが争いではない。方向を間違えてしまうとそういうことになる。今必要なのは、方向を誤らずに切磋琢磨することこそ が重要なのだろう。
俺は今、争いを避けてこんな文章を黙々と一人で打ち込んでいるのだが、果たして!今後の人生やいかに―――!? お前の人生はどうだ―――!?
| なんか手裏剣とか売ってたよ!伊賀流忍者店! |
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