小たま:登場時の齢二十七くらい。甲賀の伴家頭領・伴長信の姪っ子にあたり、幼少の頃より忍びの技を仕込まれ、男忍びにも勝るとも
劣らない忍び技術を持つ。量感のあるむっちりと肉の充ちた小麦色の肌で、甲賀の仲間や後輩の男忍びをなぶりものにしたりする。
尾張の国・清洲二十四万石の城主、福島左衛門大夫正則には、妾の一人もいなかった。妻・於まさの方がゆるさなかったのである。 ある朝、正則は愛馬に乗り野駆けをしている際、数人の男たちに連れ去られる女を助け、抱いた。女は小たまと言った。
小たまは、また正則に抱かれたいという。正則にとって、こんな都合のいい話は無い。さすがに城中に連れ込むわけにもいかず、明日も ここへ来るよう言い、正則は立ち去った。
その後、小たまは清洲城下の足袋師・才兵衛の家にいた。旅商人が足袋を買いに来ていた。旅商人は銭と共に手紙も渡したのである。 小たまはうなずいて見せた。旅商人は小たまを連れ去ろうとしていた男の一人だったのである。
翌日、再び正則と会った小たまは、城へ入れてほしいと頼み、正則の養子・伯耆守正之の屋敷で召しかかえられることになった。その後 数日間、小たまは正則の寝所へ忍び入り、正則にとって甘美な夜が続いた。
ある日、加藤主計頭清正から密書が届いたことにより正則らは伏見へ向かうこととなった。その夜、小たまは寝所を抜け出し、才兵衛へ そのことを報告、才兵衛は甲賀にいる頭領・伴長信に会い密談を交わした。長信は誰のために忍びの術を役立てようというのか…。
才兵衛が清洲へ戻ってきた夜、小たまは城を抜け出し、小たまを連れ去ろうとしていた男の一人、井之口万蔵と会っていた。小たまは万蔵 を誘惑し、抱こうとするが、隠し針で万蔵のえりを刺し、女の色香にこころ乱すとはなにごとじゃとなぶってみた。万蔵は怒り、去った。 (そりゃ、当然だろう)
三日後、伏見の正則から書状が届いた。徳川家康が天下を狙い始め、反撥する豊臣派もだまっていられないところまできているらしい。 正之も伏見へ来るようにとのことだった。小たまは、侍女として正之に同行することが決まった。翌々朝、正之夫妻と共に伏見へ向かう。
小たまは正之の計らいで、正則の身のまわりの世話をするようおおせつかい、小部屋で一人起居することを許された。その部屋へ、才兵 衛が現れた。才兵衛が言うには、石田三成が自らの屋敷へ入り、家康の実子・結城秀康の部隊に護られているという。
学問や経営の才能で出世した石田三成は、文治派と呼ばれ、加藤、福島ら生え抜きの武人である武断派とは、肌が合わずたびたび衝突し ていた。そして秀吉の亡くなった今、武断派の怒りが爆発し、命を狙われているのだった。
小たまは三成の寝顔を見るだけでもおもしろいとし、福島屋敷を出て石田屋敷近くの山科川のあたりまで来た。見なれない忍び装束を着 た二人の忍びがいた。二人が去った後、小たまは身を隠し、石田沼へ入って行ったが、その後二人の忍びは戻って来た。ばれていたのであ る。
石田屋敷の警護は厳しい。飛苦無しかもっていなかった小たまは、あきらめ帰ろうとしたとき、沼の水が屋敷内へ流れ込んでいるのを 見つけた。小たまは沼の水門から屋敷内への潜入に成功した。
三成は湯殿にいた。そこに島左近が一人でやってきたとの知らせが入り、湯殿を出た三成と島は語り始めた。小たまは中庭をへだてた 屋根の上から見ていたが、言葉は聞き取れなかった。小たまは三の居間の屋根へ移動しようとしたが、廊下の隅に蹲っている影にはじめて 気がついた。只の影ではない、忍びの男である。うかつに動けなかった。小たまはそのまま脱出するしかなかった。
再び沼を渡りきったとき、来るときに見た二人の忍びのうちの一人、弥五兵衛に犯されそうになるが、何者かが投げ撃った飛苦無によっ て助けられる。助けたのは才兵衛であった。
その後、三成と左近のもとへ、結城秀康からの使いがきた。家康のもとへ、加藤屋敷で武断派の酒宴が始まったとの知らせが入った。 その隙をねらって、三成を脱出させようということだった。体のよい追放である。
三成は結城の部隊にまぎれ込み、みごと脱出に成功した。それと知った正則ら武断派は、どうすることもできず、正則は清洲へ 帰ることにした。於まさの方のこともあり、正之に薦められるまま小たまはおいて行くこととなった。
夏になり、於まさの方は男子を産み落とす。正則は於まさの方をねぎらったが、しわが増え、顔に白粉がまだらになった於まさの方の笑 顔を見て、胸が悪くなった。
ある夜、正則は小たまの夢を見ていた。このころ於まさの方が激しく求めてくる。正則はうんざりしていたが、夢は現実となった、小た まが久しぶりに正則の前に現れたのである。小たまは城下の足袋師の家に戻ったという。
今、清洲城下には足袋師・才兵衛が暮らしていたところへ、中畑喜平太というものが、その息子というふれこみでいる。連絡は万蔵で あった。小たまの前へでるといよいよ不機嫌である。夏が終わる頃、小たまは次のような報告をしている。福島正則は加藤清正をたよって いる。他…。
小たまの報告に長信はよろこんだ。加藤清正と福島正則の繋がりについては、それほどだとは思っていなかったようである。また、 小たまには近いうちに、清洲を立ち退いてもらうと言ってきた。この夜、小たまは正則と愛撫したあと、その姿を現さなくなった。 不振に思った正則は、足袋師の家へ使いの者を行かせたが、小たまは大阪の足袋師のもとへ嫁いだのだと喜平太は言った。
秋ごろから、上杉景勝が城の改築など、戦の準備をはじめた。それに呼応するかのごとく、石田三成までもが城の修築をはじめ、牢人を 召し抱えはじめたのである。
ある日、小たまは喜平太に手を出した。行為が始まろうとしたとき、喜平太の動きがとまった。屋根に誰かいるというのだ。小たまは 屋根へ飛び出し、飛苦無を投げ撃ち、それは曲者の股のあたりに喰いこんだ。喜平太も飛び出してきたが、小たまは追わずともよいという。
それから十日ほどして、長信からの密使がきた。万蔵ではない。不破甚左という中年の忍びだ。甚左がいうには、万蔵が怪我をしたのだ という。むろん、やったのは小たまであるが…、ともかく長信の手紙には、今のうちに体を躰を鍛えておくようにと書かれていた。
甚左はこの日は去ったが、半月もたたぬうちに再び現れ、三日のうちに甲賀へ戻るようにと伝達してきた。小たまは清洲城下を離れ、 甲賀へ戻り、長信と向かい合った。長信は戦は起こるものと決めているようだ。
上杉景勝は戦備に熱中、豊臣内閣の長老として、徳川家康はこれを見逃すわけにはいかず、上杉へ攻め上るはず、そうなれば石田三成は その隙に、大阪と伏見を占拠するに違いない。長信は小たまに、戦さ忍びをしてもらわねばなるまいと言った。
小たまは才兵衛とともに甲賀を発した。才兵衛がいうには、このたびの戦さ忍びは山中忍びと共同だという。山中忍びとは、同じく甲賀 の忍びである。やがて関が原近くの長比というところへきた。忍び小屋があった。夜になって不破甚左が現れ、万蔵が姿をけしたと告げる。
佐和山の城下に桶つくりの九十という者の家があった。才兵衛が密かに訪れ、万蔵はどうしたときくと九十は、夜に入ってから戻って来 たと答えた。九十は伴忍びである。
いよいよ家康は、上杉景勝のいる会津攻めの決心をした。家康は正則を呼び出して、その先陣を務めるよう言った。正則はこれを請けた。 正則は出陣の仕度に取り掛かる。
夏になって、小たまは清洲城下の喜平太の家へ入った。家康は江戸へ到着、それを知るや上杉は戦闘準備に入った。石田は大阪を手中に 収め、伏見城を包囲した。家康はそのまま下野(栃木県)へ到着。
ここで、西軍の挙兵を知らせる急使が家康の下へ来た。自分がいない間に大阪、伏見が押さえられた、このような振る舞いを許すわけ にはいかない。西軍を攻める理由が立った。わざわざ会津まで行く必要がなくなったのである。待ってましたと言わんばかりに京、大阪へ 引き返すこととなった。
久しぶりに正則の前に現れた小たまは、この状況を聞き入れ、一気に小田原へ行き、才兵衛に報告する。石田は大垣城へ入城、岐阜城も 確保していた。清洲と岐阜は七里ほどである。正則は急ぎ清洲へ戻るのであった。
戦国武将・福島正則と甲賀忍び・小たまの二人を中心とした話である。二人の人生は別々のもので、それぞれに生活の軸を持ちながらも、 要所において二人は絡みあうのである。下巻もあることなので、ここであまり語ってしまうと後で書くことなくて大変なのだが、上巻で 気になったことを挙げていくとしよう。
(1)於まさの方が子を産んだとき、正則はそのときの於まさの方の粉吹いた顔を見て、胸が悪くなったとか、体の表現を固く骨張った体など、 妻へ対する憎悪感の表現が尋常ではない。筆者の私生活の不満をぶちまけているのではなかろうか。まあ筆者の私生活などどうでもよい ことだが、もし自分が福島正則の立場であったならば、どう思っただろうかというところに至る。
まず条件を整理してみよう。
以上の条件を条件を考えると、痒いところに思いっきり手が届くぐらいに共感できた。この条件ならば私もそう考えただろう、 フォローするわけではないが、あくまでこの条件でですよ。
(2)小たまの”S”度について、そもそもサディズムとは、異性の相手を虐げることによって性的快感を得ることである。以下に、部下 である喜平太とのやりとりを抜粋してみる。
290ページ〜
小たまは、屋根裏にもうけられた自分の部屋へもどろうとして、
(おや……?)
ふと、足をとめた。店の土間につづく仕事場で、若い中畑喜平太がねむっている。そのいびきがきこえたからであった。
(喜平太は、よう寝てござる)
小たまの頬に、いたずらっぽい笑いが浮かんだ。
中略
それほどに神経をつかって、この部屋へ入ったわけではないのだが、喜平太は気づかずに、
(ねむりこけている……)
のである。
(でも、可愛ゆいこと……)
であった。
中略
小たまの顔が喜平太の胸肌へ近づいてゆく。そして……。小たまのくちびるが、若者の胸肌をなぶりはじめた。小たまは、(こころゆく まで……)若い喜平太の体臭を、胸いっぱいに吸いこんだ。
ここまできては、いかに未熟な忍びとはいえ、中畑喜平太も甲賀の忍びの一人である。
「あっ……」
ぱっと、はね起きて、
「あ……小たまどの……」
「私が入って来たのに気づかなんだのか」
「す、すみませぬ」
「未熟者め」
いきなり、小たまが喜平太の頬を打った。
「あっ……」
「痛かったかえ?」
「いえ……私が悪いのです」
「わかったか?」
「はい」
「これからは、こころをつけなくてはならぬぞえ」
「はい」
「よし、よし。こちらへおいで」
「はあ……」
甘えるように喜平太が、すりよって来た、その手をつかんだ小たまが、ぐいと引き寄せ、いきなり喜平太の唇を吸った。
今でいうならかるい「お叱りプレイ」とでもいったところか。まだ続きがある。飴とムチを巧みにつかい喜平太をいたぶる小たまの妙技 をぜひご覧いただきたいものだ。
こんなSの小たまであるが、石田屋敷から抜け出し、弥五兵衛に襲われ犯されそうになったときには、弥五兵衛のどうしようもない力の 前に、屈辱に堪えながら、ついに、小たまは哀願の形をとってしまうのである。S女を無理やり服従させるとはやるでわないか、むむ、 これはセンセーショナルだ!意外と興奮したよ。
| なんか手裏剣とか売ってたよ! |
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