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柳生忍法帖(下)





















【ショートカットストーリー】

⇒ コメントの術

七本槍の内、四人を葬った十兵衛らは、十兵衛を囮として注意をそらし、沢庵を先頭に女らを将軍の愛妾と偽り、堂々と会津領へ侵入。 その後、沢庵らは姿を消した。

堀の女たちは領内に入っているに違いないと、探索の手を緩めない七本槍。銅伯は堀家の女たちを領内へ入れてから誅戮を加える方針を 打ち立てるも、七本槍の一人、司馬一眼房がお沙和の自らとともにつり橋を切り落とす策により、 林におびき寄せ落葉埋伏の計に葬られる。

今だ消息のつかめない女たちに対し、沢庵を城へおびき出さねばと考えた銅伯がとった策は、芦名衆の者達が討たれるたびに、 罪もなく捕らえた女の首を大手門前に並べることであった。芦名衆が七人討たれれば十人、十三人討たれれば 十五人並べたのである。

沢庵は耐えかねた、自分たちと縁のない者が自分たちの為に次々と斬られていくことに。そこで十兵衛の反対を 押し切って、沢庵は城へ入ることを決意する。

だが、そこが銅伯たちの狙いである。しかし娘たちが助かるならば・・・・・・、沢庵の腹の内は、降伏と見せかけて敵の裏をかくこと、 七本槍の残り二人を城外へ出すこと、銅伯の謎を解くことであった。

沢庵は銅伯の謎を解く為に、銅伯と瓜二つの天海僧正のいる江戸へお千絵とお笛を、領内で救い出した娘たち三、四十人を上ノ山へ 送る為に十兵衛を送り出し、自らはおとねを連れて城へと向かう。

お千絵とお笛は猪苗代湖を渡って芦名衆の追跡を振り切り、十兵衛は追手を斬り捨て会津領から娘たちを送り出すことに成功。 沢庵とおとねは明成に招き入れられるまま城に入った。

銅伯は般若面(十兵衛)と女たちをおびき出す為に、沢庵に和談を持ちかけてきた。七人の女をゆるす代わりに般若面の首を差し出せ というのだ。

当然反発する沢庵。明成と残りの七本槍の首もらい受けて、はじめて勘定はあう。しかし、そこで銅伯が見せたのは驚愕の幻法「夢山彦」 沢庵の目に映ったのは江戸にいるはずの南光坊天海!

銅伯と天海は世の常ならぬ双生児。天海は銅伯の兄弟だというのだ。一方が傷つけばもう一方も苦しむ、銅伯が死ねば、天海も死ぬ。

沢庵は生涯大恩の天海を殺すわけにはいかない。恐れていた事態が起きた。大難が僧正に及ぶのではないか、その秘密を 探る為にお千絵とお笛を江戸へやったのだが、銅伯に先手を取られてしまったのだ。

同時刻にお千絵とお笛は天海僧正のもとへたどり着きその真実を知る。 銅伯に突き刺さる刀、同時に苦しむ天海。沢庵は銅伯に般若面を呼ぶよう迫った。天海をとるか、十兵衛をとるか。

世にこの上なく敬し、愛する二人。どちらかをえらべといわれるならば、天海を助けなければならない沢庵であった。 「・・・・・・十兵衛、死んでくれ!」

沢庵の書いた書面はおとねによって十兵衛のもとへ届いた。「・・・・・・ばかな!」十兵衛は書状を引き裂いて、女たちの反対を押し切り 一人鶴ヶ城へ。何事が起ころうと、ただ信ずるは腰間の愛刀三池典太のみ―――

鉄門は徐々に開いた。庭のまわり、櫓、石垣、堀の下、芦名衆と加藤家譜代の家来たちがいっせいに刃を向ける。みな動かない。 歩いているのは般若面のみ。

明成、銅伯らに対面した十兵衛は沢庵の説得も効かず真っ向から挑む。明成の号令により、いっせいに上がった鉄砲を前に十兵衛は沢庵 を盾にとった。意外な方法だった。沢庵だけは殺せないのだ。夢山彦の人質として江戸に帰さなければならないからだ。

そこで鉄砲を下ろさせた銅伯は十兵衛に七本槍の一人、漆戸虹七郎との立ち合いを提案。 立ち合いで不覚にも虹七郎に般若面を割り落とされた十兵衛は、ついにその顔をあらわした。

柳生十兵衛!

道理で―――江戸以来の超絶の剣技、沢庵と縁の深い柳生という名に当然想到すべきであったのだが、誰も十兵衛の名を思い 浮かべなかったのである。芦名銅伯が石段からおどりあがった。

「十兵衛の相手は、わしがしよう」

芦名銅伯が不死身の肉体を持っていることはすでに沢庵から聞いたが、まだ十兵衛にはよく納得できない。 銅伯を殺したとき、銅伯の生命力が強ければ天海が死ぬ。銅伯を斬ったとき、天海の生命力が強ければ銅伯は死なぬ。いずれにしても 絶対絶命。

「・・・・・・いよいよ以って面白いな」

銅伯を見つめた柳生十兵衛の眼にはむしろ好奇の色が・・・・・・。果たして、十兵衛に銅伯を葬る手だてはあるのか・・・・・・!?



←やっぱり角川文庫のが一番渋い表紙だ!でも中身は同じ。

【コメント】

⇒ ショートカットストーリーの術

上巻でのコメントでは十兵衛の行為が忍びではないかと述べた。下巻も同じで、やはりおおっぴらに 忍者と呼べる者は一人も出てこない。これになぜ忍法帖というロゴが付いているのか考えてみる。

本書の解説では、人知を超越する幻法を操る七本槍と、それを葬った堀家の女たちの技、そこまで育て上げた十兵衛の法はまさに 忍法なのでは、などという意味らしきことを解説している。

今まで読んできた山田風太郎の忍法帖シリーズからして、人体の可能性の範囲でありながら、人知を超越している技というのを 一くくりにして「忍法」と呼んでいるような節がある。

摩訶不思議なこと全てを忍法の一言で済まされてしまうのは、忍者マニアとしては、はなはだ不愉快ではあるが、話を盛り上げるための ネーミングのくくりとしては重要であると考えられる為、仕方がない。それで忍者人気が高まるというのなら構わない。

だが真の忍者マニアならば本質的なことを見落としてはならない。忍者小説としての要素はしっかりと詰まっているのだ。 この本を読んで本当に忍者にまったく関係ないと思われた方には、もう一度はじめから読み直すことを推奨する。

忍びの本質とは相手の実と虚の狭間を突くこと、どんな手段を使っても目的を達成することである。 この話の場合、堀家の女たちよりも敵の七本槍衆のほうが圧倒的に強いケースなので、潜入、襲撃、奇襲などあらゆる戦略が展開される。 いずれにしても正々堂々などという綺麗な作戦はない。

堀家の女たちは派手に火を吹いたりするような派手で摩訶不思議な技は使ったりしないのだ。本当にジャンプ力やバランス感覚を鍛えたり、 剣技を習ったりしただけなのである。そんな彼女らが派手な幻法を使う七本槍衆を、戦略をもって一人ずつ確実に仕留めていく。

こんな彼女らを忍びと呼ばずしてなんと呼ぶのか。 結局、終盤にくると十兵衛の強さばかりが目立ってしまい、彼女たちの活躍はあまり見れなくなってしまうのは残念ではあるが・・・・・・。

この議題に対して結論を率直に述べると、忍者小説としてはズレているが、その要素はあるということ。面白ければそれでいいじゃないか。 小せえことは気にすんな。面白さに間違いはない。

内容として、さすがはエロティック&バイオレンスの山田風太郎小説。残虐シーンは健在で、 話のセンスがエグイ。七本槍の一人、司馬一眼坊の死体を雪だるまに埋めて、城の濠端に置いておくという不敵なまでの挑発。

別の話で例えるなら、映画「ダイハード」で主人公が返り討ちにしたテロリストをエレベーターに押し込んで、テロリストの潜伏する フロアに血のメッセージ付きで送るシーンなど。

さらにはリアルな話であの児童殺害事件の酒鬼薔薇がやった、学校の校門前に殺害した児童の首とメッセージを置くという話。 後者の場合は特に状況が似ている。この本を酒鬼薔薇が読んでいたかどうかは不明であるが、この本が最初に刊行されたのが昭和四十九年 というから、ない話ではない。

まあ酒鬼薔薇の場合は自己満足であろうから、純粋にドス黒い悪であるが、この話の場合は襲い掛かる悪に対する報復であるので、ある種 興奮を覚える。不謹慎だけどね。

とにかく普通の人なら殺害後の死体の処理をどうするかなんて考えないからな。そこまで構想して話として創り上げるセンスがないと 天才山田風太郎にはなれないぞ。

最後に十兵衛の一言でわかるが、さすが十兵衛のアニキ、別に女がいたようだが・・・・・・いったい誰?


なんか手裏剣とか売ってたよ!伊賀流忍者店!

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