孫兵衛ひきいる甲賀忍者たちの襲撃を切り抜けた笹之助は、負った傷もそのままに太郎義信の前へ現れ、臨済寺密談の様子を全て語った。
笹之助は武田家の内乱は何としても防がなくてはならない。だが義信は信玄への不満と怒りによって心をさいなみつくしている。
佩刀に手をかけた義信だったが、見返した笹之助の凄まじい気迫についに佩刀を抜くことはできなかった。
笹之助のいうことが、自分のためを思ってのことと感じたからだが、引っ込みのつかない義信は笹之助を斬るよう侍臣たちへ命じてしまう。
侍臣の一刀をなんなくかわした笹之助は、庭の闇へと消えた。翌朝、太郎義信は捕らえられ、西曲輪内の締所へ押し込められると、 日に日に衰弱していった。
翌年、久仁は男子を産んだ。名は信玄によって和一郎と名づけられた。(この子が大きくなるまで、おれは死にたくないな) だがそれは非常にむずかしく思われもした。
さらに翌年、太郎義信が格子越しに侍臣の一人を殺してしまい、太郎義信自身も締所の中で急死した。 毒を盛られたのである。笹之助にはすべてわかったような気がした。信玄は何も語らなかった。
それから三年、どっしりと構える武田家に対して、織田信長は京都へ手を伸ばしはじめた。やがて信長は信玄への交情を冷たくしていく。 このときを待っていた信玄はようやく動き出す。
笹之助は塚原卜伝の病状を聞きつけ、十余年ぶりに卜伝のもとを訪ねた。 床に臥していた卜伝に生気が戻る。笹之助は全てを告白した。
甲賀忍者の使命として弟子入りを願い出たこと、信玄をあざむいたが 見破られたこと、信玄の威望に屈服しその夢に殉ずることを決意したこと。そして笹之助はゆるしを請う。
だが卜伝はむしろあざむかれたことをよろこんだ。だが、笹之助はあざむいたようで、そうではなかった。 事実、あざむいた言葉を真実のものとして、信玄に仕える武士になっているではないか。
あのときの嘘は、今となっては嘘でなくなっていたのだ。 笹之助は罪をゆるされた喜びにひたりつつ卜伝と語り明かした。翌朝、笹之助は塚原の里を発ち、七日後に卜伝はこの世を去った。
徳川軍の前衛基地である高天神城を攻める武田軍。あまりにも慎重な信玄の戦略に、苛立ちを覚えた笹之助は、出撃を許さなかった信玄の 命に反し、戦場へと駆け出してしまう。暴走を咎められた笹之助は一足先に甲府へ還され謹慎の身となった。
その後、三河攻めを行った武田軍であったが、予想以上の強固な守りに甲府へ引き返すこととなる。
孫兵衛は時をまっていた。同じく甲賀忍者清松とともに、信玄を亡き者とすべく甲府城下へ潜入してきたのである。 今回は甲賀の頭領からの暗殺命令もうけていない。独断である。やがて孫兵衛は西曲輪の濠へ達した。
同じ頃、笹之助の謹慎が解かれた。城への呼び出しが掛かった笹之助であったが、早くも様子を伺っていた清松の気配を感じ取っていた。
於久仁と和一郎を安全な場所へ送り届けた笹之助は闇の中で清松と遭遇。だが互いの正体はわかっていない。相手が笹之助だとは 思ってもいなかった清松だが、相手に襲い掛かかり仲間を呼ばれてはこまるし、かといって逃げれば急を告げられる。殺してしまわねば ならぬと、清松は決意した。
両腕をふるい、清松の手から笹之助に殺到する十方手裏剣。笹之助は驚異的な跳躍により川の中へ飛び込んだ。 おそるべき早業、この一瞬の間、笹之助を見失ったのが清松の不運であった。笹之助の投げた脇差が清松の面上を捉えた。
「清松か・・・・・・」かつては清松も笹之助と供に孫兵衛に指導を受けた身。もはや孫兵衛も甲府城下へ潜入していることは明白であった。
信玄の住む『御くつろげ所』近くで時をまっていた孫兵衛であったが、清松からの合図がない。清松が笹之助の家に火薬玉を投げ込み、 城下に火を放つ手筈であったが・・・・・・。
奥庭の闇がざわめき出した。清松が失敗したことを悟った孫兵衛は、迫る武田忍者たちからの逃走へうつる。
瞬く間に二人斬り倒した孫兵衛であったが、無傷ではいられなかった。右足首を斬られた孫兵衛は信玄暗殺をあきらめ、 東門を飛び越えたところで、杉坂十五郎と遭遇する。
東門がひらきかけたが、十五郎がそれを制した。孫兵衛が居館内へ 駈け戻り、混乱に乗じて逃げるのを防ぐためである。十五郎は手裏剣を投げつつ、刀をふるって躍りこみ、孫兵衛は魔鳥のように殺到 してきた。
十五郎は肩から胸にかけて血をふきだし、倒れた。孫兵衛は十五郎に左足を斬られながらも門の屋根へ飛び移り、東門の内側の 敵の中へ斬り込んだ。孫兵衛は鬼と化していた。ついに、孫兵衛の姿を居館内で見出すことは出来なかった。
十月となり、信玄はいよいよ上洛を開始する。笹之助も旗本の一人として出陣する。 武田軍は家康のいる浜松を通り過ぎ、二俣城を落とした。信玄は家康が出てくるのを待っていたのだが、家康は出てこない。
家康をおびき出すため、武田軍は浜松の近くまで侵攻し、三河方面へ転じた。家康も自分をおびき出したいという信玄の腹の内を 読み取ったが、ぬけぬけと三河へ通してしまっては、家康の威信は地におちてしまう。家康は決意し、全軍を出した。
三方ヶ原でぶつかり合う両軍であったが、戦力の違いは明らかであった。家康は浜松へ敗走するが、信玄は本営において吐血し、倒れた。
その後、野田城を落とした信玄であったが、それまでであった。信玄の病態は隠しきれないものとなった。笹之助も信玄の死を覚悟した。 武田軍は甲府へ向かい動き出す。帰還途中の夜営で信玄は、勝頼他、重臣たちを呼び出し語った。
自らの余命がいくばくもないこと、 天下取りを諦め上杉謙信と和睦すること、その際には丸子笹之助を用いるようにと。勝頼は不満であった。ただでさえ忍者上がりの 笹之助を嫌っていたのに、重く使えというのだ。当然、使う気などない。
信玄が亡くなってからの笹之助の身は危うい。それを十分承知 している笹之助ではあったが、やれるだけはやってみる。笹之助の肚のうちも決まった。
だが信玄は死際に笹之助を呼び寄せ「すべては夢じゃ」といった。上杉との和睦に働こうと誓った笹之助に「もう、よい」といったので ある。信玄は死んだ。信玄の死は一生をかけた目的の喪失ともいえる。(おれは何を目ざして生きて行ったらよいのか・・・・・・)
甲府へ戻り二ヶ月後、諸方の大名や豪族たちの間で信玄の死が報じ合われ、家康も奪われた基地を奪い返そうと攻めはじめる。
笹之助は家で只寝ころんでいた。謹慎のかたちで家に引きこもっていたのである。(危い)笹之助は勝頼の底にひそむものを看破していた。
家のまわりは、武田家の士卒によって見張られている。逃げようと思えばいつでも逃げられるのだが・・・・・・。さて、どうするか、考え あぐねていた。
笹之助の体はじっとりと汗ばんでいる。修行をつんだ忍者の体は気候の変化に反応を見せないものだ。茫然と過ごした 月日が、笹之助の心身に影響を与えたのである。
(おれは、忍びの者ではなくなってしまったのかも知れぬ。いや、そうだ!!)
笹之助は愕然とした。いかなる場合でも、おのれの肉体を絶えず鍛えておく心構えを忍者は忘れてはならない。部屋の中にいても、 鍛練は容易に出来るのである。思わずうめいた。(これで、おれは、この家の包囲を逃げられると思っていたのか・・・・・・)
このとき、夜気がゆれた。いよいよきた。この日の夕方、勝頼は笹之助を斬るよう命を下したのである。
庭へ、はっきりと人の気配が感じられる。槍や刀の、かすかな音も耳に入ってくる。忍者としての体力に、笹之助は自信を失っていた。 動いて見て、どこまで働けるか。歯を噛みならしても、もう遅い!逃げねばならぬ!!
いっせいに火薬玉がとんできた。閃光が走り、響音が夜気を引き裂く!!
果たして!笹之助は包囲網を突破することができるのか・・・・・・!?
下巻に入ってから、すっかり侍が板についてきた笹之助であるが、諜報網・警備体制の整備など、行動の基本はやはり忍びである。
敵地に忍び入っての情報収集や暗殺を狙うなどの行為はもうない。保守的になってちょっと寂しい気もする。
その点、孫兵衛なんかは元気だ。何の命令がなくとも信玄を亡き者にしようと、部下を一人だけ連れて再び甲府城へ侵入する。
結局、部下の清松が笹之助に見つかって殺られることで、逃走を余儀なくされるわけだが、このときの脱出方法は為になる(何の?)ので 、ありがちな方法ではあるが覚えておきたい。どっかで使えるかもしれない。
士卒(兵士)の一人をとっ捕まえて、衣服を剥ぎ取り士卒に変装する。伝令のふりをして、あとから集まってきた士卒たち にむかって、自分が逃げるほうと反対の方へ曲者が逃げたと叫びながら走り去る。
この伝令をすることがポイント。普通にそのまま 反対側に走り抜けようとするやつがいれば、中には疑念を抱く者がでてくるだろう。まだ他の仲間にも伝えに行くんだなって、 勘違いさせることが重要である。
冷静になって考えれば見破られるかもしれないが、 多少の混乱状態において、情報を与えてくれる者=曲者、とはなかなかに結びつかないものだ。
ここまでは良かったが、孫兵衛は笹之助の部下である十五郎ら武田忍者たちと鉢合わせてしまう。相手も忍びであるから、小細工が通用 しない。
追い詰められ、士卒、武田忍者らに囲まれた孫兵衛は、ほとんどヤケクソ状態で十五郎と斬り結んだあと、士卒たちの群れの中に 飛び込んだ。
ヤケクソ状態でもここは冷静だった。他にも濠に飛び込むなどの選択肢もあったが、武田忍者たちの手裏剣の絶好の的となる ことを考えれば、あくまでも逃走できる確率の高い方を選んだのである。
もちろん士卒たちの間では混乱状態が起こり、そのどさくさに 紛れて城下の脱出に成功する。 下巻中盤の見所である。
後半、笹之助の脱出劇もある。 信玄が死んで、笹之助は悩む。信玄を助け、天下統一まで信玄の為に戦うという、目標を失ってしまったのだから当然だ。
思いがけずやって来た人生の岐路に立たされた笹之助が、思案の末に思い立った答えはこうだったのではないか。
結局自分は忍びなのだということ。いくら信玄に仕えてたとしても、それは笹之助として仕えていたのであり、侍とか忍びとかを越えた ものであった。
だが、笹之助の本質はやはり忍びである。忍びの技がなければ、信玄を助けることもできなかった。忍びは主人が死ねば、他を捜すまで。 ただそれだけのこと、ただそれだけ・・・・・・。
忍びであるにもかかわらず、肉体も鍛えずに何をしていたのだと。何をしていたとしても、環境が変わっても、自分という根本は 変わらないのである。
周りの状態・環境に甘えていたのだ。だが後悔する間もなく危機に面した笹之助は、脱出を決意するのである。
環境に甘えてしまうのは、人のサガだ。自分に元気がないとき、弱気になっているとき、体調が悪いときなどは特に流されやすい。 そんな中でも強い意志を持ち続け、人としてのサガを殺し、自分に厳しく生きることができれば、もう俺もお前も立派な忍びだ!
それから、さすがは剣聖というべきか、塚原卜伝は言うことが違う。忍びのカテゴリーからは少々外れるが人間的にどうなのよ、 ということでちょっと心打たれるものがあったので書いておきたい。
笹之助が信玄の病状を卜伝に打ち明け、意見を求めたシーン。
p、106〜108抜粋
「いまさら、わしが何を言うたところで、どうにもなるまい」
「ぜひにもお聞かせ下されませ」
中略
「その必要はない」
「なれど・・・・・・」
「そなたが、信玄公へかたむける愛があるかぎり、わしが何もいわずとも、そなたはそなたの道を進みきることが出来よう」
「は」
「やってみるがよい。男が女を愛し、そしてまた、男を愛す。愛のかたちは違うても、それは必ず一つに結びつこう」
「さようでござりましょうか」
「それ見よ。そなたは、まだ迷うておるではないか。妻と子へ向ける愛と、信玄公へ向ける愛との間に立ち、そなたは、 迷うておるらしいの」
信玄が、天下をつかむ前に、もしも病没してしまったら、
(今まで、おれのしてきたことは何になるのだ!!)
夢は、消えてしまうのである。
「笹之助!!」
厳然と、塚原卜伝がいった。
「迷うな。二つの愛のどちらもつらぬけよ」
「・・・・・・・・・・・・?」
「よいか、そして力強く、生きぬくのじゃ」
笹之助は、もう恥ずかしくて顔があげられなかった。
(死を怖れていたおれの打算を、殿に見破られてしまった。武田の天下とならぬのなら、死んでも無駄だという、おれの心を、 殿に見破られた・・・・・・)
だが、卜伝は、少しも笹之助にさげすみの眼を投げるようなことはしなかった。
「ようも、そなたは、わしを信じ、すべてを打ちあけてくれたの。嬉しいぞよ」
「殿。迷いがはれましてござります」
翌朝、丸子笹之助は塚原の里を発って行った。
迷うな。二つの愛のどちらもつらぬけよ・・・・・・かっ、カッコイイ!言えるかお前こんなこと!
武田の天下にならなければ、笹之助の今までやってきた行為は全て無駄になるという、利益追従型の考えに、ちょっと待った、それは 違うぞ笹之助よと。妻と子へ捧げてきた無償の愛と、武田家へ尽くしてきたことへの想いは同等なのではないか。
笹之助は武田が天下となった日の見返りを、姑息にも計算してしまったのだ!これは忍びのサガだったのか、それとも人としてのサガ であったのか。
いずれにしても笹之助の心を捉え、そっと優しく、力強く道を正してやる。本物の大人の意見だ! そこら辺の教師にも聞かせてやりたいくらいだ!
人の人生に無駄は無い。送ってきた人生の全てがその人そのものだからだ。だが無駄は無くとも後悔はある。 死んで後悔したくなければ、今を全力で生きろ、そしてつらぬけよと・・・・・・。
2008年、秋の夕闇のなか、感傷に浸る俺であった・・・・・・。
| なんか手裏剣とか売ってたよ!伊賀流忍者店! |
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