管理人・曽根 2014|04|15 記  

 いちご会の某組有志7人が関西2泊3日の旅をするというので、いちにち大阪を案内させてもらいました。意外にも「大阪初めて」が多く、お定まりコースの通天閣へオノボリさんです。皆さん新世界界隈に何十軒と並ぶ串かつ店の「ソース二度づけ禁止」の看板を珍しがり、店先のビリケンさんに興味を持った様子でした。関東ではそれほどポピュラーではありませんが、足の裏をコチョコチョ掻いてあげると、お礼に「幸せを呼んでくれる」という人形です。
 アメリカ生まれで明治末に日本にやってきたこのマスコットは今、東京スカイツリー人気と各地のユルキャラらブーにあやかり、「時の人」ならぬ「時の神」として脚光を浴びています。通天閣の地上100mに鎮座していたご本家2代目は昨年、復興支援の「福幸キャラバン」として東北へ招かれたりしています。《写真↑=TVニュースから》

 高校の仲間とともに、青春に戻ったように無邪気に笑いながら足の裏を撫でているうちに思い出しました。この人形を初めて見たのはアメリカ映画「哀愁」の中だったなあ。日米開戦の前年、いちご世代が生まれた1940年のMGM作品。日本公開は終戦4年後の1949(昭和24)年だったから、小学生の私が戦争悲恋を理解するはずなく、見たのは封切りから10年以上経った大崎卒業の前後、武蔵小山あたりの映画館だったと思います。

 舞台は第1次世界大戦下のロンドン。空襲警報が鳴り響く宵のウオータールー橋の上で出逢ったバレエダンサー(ヴィヴィアン・リー)とイギリス軍将校(ロバート・テイラー)が、一緒に地下鉄駅へ逃げ込んで見初め合う。翌日、戦地に赴く男にヴィヴィアンは大切にしていたお守りを渡します。象牙か石に彫った小さな人形。頭が尖がり、目が吊り上がった妖怪のような顔が記憶に残りましたが、これがビリケンと知ったのはさらにずっと後のことでした。イギリスの第1次大戦参戦は1914年ですから、「哀愁」の狂言回しとしてこのマスコットが登場するのは時代考証と合致しています。

《写真↑→=映画「哀愁」のビデオテープから》
 ビリケン人形は1908(明治41)年、アメリカの女流彫刻家が「夢のお告げがあった」と言って彫った作品が展覧会で入選。 ミニサイズの縁起物にされまず米国内とカナダで飛ぶように売れ世界に広まったそうです。「Billiken」の名の由来は時の第27代大統領タフトの愛称「Billy」から、というのが通説だそうです。
 日本に渡ったのは明治45年。新世界の国際博覧会跡地に造られたテーマパークの客寄せに置かれたのが始まりで、今度私たちがコチョコチョやったのは3代目だそうです《←写真》。長い間に何百万、何千万もの人に擦られるうち足の裏が磨り減り、代替わりしなければならなかったと聞きました。ちなみに初代は、行方不明だとか。
 そうそう、今はビリケン様のご利益をPRしている時ではないのでした。私には、近ごろのブームが「もう一つのビリケンを忘れちゃダメ」という警鐘に聞こえてならず、苛立ちを掻き立てられながら拙文を書き始めたのでした。

 《←写真》のいかめしいおじさん、チャラチャラした勲章や金ピカたすきをして悦に入るのはご存じビリケン宰相・寺内正毅(てらうち・まさたけ)。大正初期に君臨した第18代総理大臣です。
 大崎の教科書にどのように載っていたか憶えていないのですが、この男が「ビリケン」の異名をとった理由は単に尖がり頭の風貌からだけでありません。その政治手法である「非立憲(ひりっけん)」の発音がビリケンに通じた、と政治史の本にあります。
 長州藩士の三男に生まれ、陸軍長州閥から権力の座にのし上がったこの軍人は議会決議に基づいて行うべき立憲政治を政党人拒否の超然主義で貫いた。そこで世間は「憲法をぶっ壊すもの」として非立憲内閣、ビリケン内閣と揶揄したのでした。
 韓国統監、朝鮮総督なども歴任、他国民に煮え湯を飲ませ辛酸を舐めさせた軍国悪魔の1人。こういう連中が、後に自国の何百万の兵と民の命を奪う無謀な大戦への道を敷いていったのです。非立憲、ヒリッケン政治は、内閣に政党人を1人も入れず軍人で固めました。議会軽視の政治は、今まさに第96代首相、安部晋三が進める手法です。
 集団的自衛権にしても、歴代内閣それもかなりのタカ派政権でさえ「現行憲法では行使できない」と節度を守ってきたのに、この首相は「憲法改正しなくても、内閣が解釈を変えれば容認される」と暴走。それを元総理・現副総理の麻生太郎が「憲法なんか改めなくたって、いつの間にか変わっていたナチス憲法を見習えばいい」という本音で援護射撃。国際社会はド肝を抜かれました。それほど日本を「戦争のできる国」に戻したいなら、まず憲法を改定するのが筋というものです。
 私たちいちご世代が生きた時代は、奇跡的な戦災復興をなし遂げたものの、その後の60年の間に、利権に走る政治家と狡猾な官僚の手によって、荒んだ無茶苦茶な社会にされてしまった。それでも、なんだかんだ言ったって、外国の軍隊に殺される恐怖を抱かずにすみ、他国の誰1人を殺すこともなく過ごすことができたのです。この国の長い歴史の中で、最も安穏を享受できた世代と言って過言ではないでしょう。
 それが出来たのも、平和と自由、基本的人権を定めた憲法のお陰。その憲法は、戦争で無残に散った数え切れないほどの命と引き換えに得たものでした。なのにこの国は、いつか来た暗黒の道を再び走り出した。私たちは、おいしいところを食べ、それを次世代に引き継ぐことなく去る。食い逃げ世代と、後世非難されて当然です。
 この歳になっては、何をすることもできず隔靴掻痒の思いです。せめて孫・子の代の幸せのために、悪魔のヒリッケン野郎ではなく、精一杯ビリケンさんの足の裏を掻いてあげようか。しかし、それも手遅れのような気がしてなりません。