×
Still
兄貴は重い黄金の卵を持っていた。
俺は、軽いが何処までも転がる卵を持っていた。
 
 
「お前はこれから、どうやって生きていくつもりなんだ?」
父の執務室に呼び出されて、そう問われた。
どうやらこっそり故買屋に足を運んでいたのを、商会の小僧に見られていたらしい。
父愛用の応接机の上には、5本のナイフが並べられている。
いずれも俺が実際に手に取り、馴染んだものを選んだ、お気に入りの……一度も振るってはいないが……ものだ。
「冒険者にでもなるかなって」
部屋を漁られたことにもむかっ腹は立ったが、それ以前に、今更人生に干渉してくる父が気に入らなかった。
そんな俺の気持ちを感じたのか、もともと俺と会話する気はさほどなかったのか。
「そうか」
父は一言返しただけだった。
思い返すと、俺が父と向かい合って話したのは、それが最後かもしれない。
 
よくできた兄を持つと、弟は苦労するのはどこも同じだろう。
商売の実践でも、人を使う手際でも、兄は全てにおいて俺に勝った。
比べられるだけなら諦めもつくが、俺が冒険者の道を志したときも
「ああ、ウィリアム様に適わないから、あんなことで周りの気を引いて」
と言われているのが癪だった。
 
兄が結婚し、長男が生まれると、ますます俺の立場はなくなっていった。
商会がお祭りムードの中にあってさえ、俺はどうしていいかわからない。
心の奥底ではおめでとうと言いたいのに、そのひとつ表層では兄貴に逆らいたく、
その上にかぶせる皮は笑顔で取り繕いながらも、きっと周囲はそうは見ていない。
バラバラになりそうだった。
冒険者へのぼんやりとした志望が、確固たる信念になったのは、そんな折だった。
 
数年後、父が死んだ。
遠方の取引先との交渉が、旅の冒険者を間に成功した矢先だった。
葬儀も済み、遺言公開の手はずも整い、翌日には新ラックワース商会当主が就任するその夜、
俺は、家を出る決心をした。
 
 
新品のザックの中に、旅支度を放り込む。いずれも聞きかじった冒険道具。
その一番上に、あの日買った5本のナイフを置く。
準備万端だ。あとは家を出て、夜明けと共に適当な店で鎧を見繕い、街道沿いに王都を目指す。
経験は足りないが、先輩冒険者達の荷物持ちでもしながら場数を踏めばいい。
そう思って、廊下を出たところを、兄貴に呼び止められた。
 
「エドワード、これからお前は、どうやって生きていくつもりだ?」
ラックワース家当主の執務室……いつか父が座っていた場所で、兄貴は父と同じ質問をした。
あの日、ナイフが並べられていた机には、代わりにワインが置かれている。
 
「さてな。適当に生きるさ」
ワインを一気に煽る。そういう飲み方をする安酒じゃないのは知っていたが、無性にそういう気持ちだった。
兄貴は喉の奥で、くっく、と笑った。
 
「適当、か。羨ましいものだな」
飲み込んだのは、ワインか、怒りか。
「……羨ましい、だと?」
それでもグラスを叩きつけるような真似はしない。商人の性がさせる業だった。
少なくとも高いグラスに罪はない。
 
「兄貴は少なくとも俺の知る全てを手に入れてきただろう。
 そんな兄貴が俺の何を羨ましいという?」
「さてな」
 
ワインの入ったグラスを弄びながら、兄貴は笑う。
「冒険者、か」
「知っていて聞いたのか。無意味な」
「いや、そうでもない、腹が決まった」
「腹?」
「そうだ……ひとつ、賭けをしないか?」
「何の話だ」
「お前が勝ったら、なんでもひとつ欲しいものをやろう。
 代わりに俺が勝ったら、お前の持っているものをひとつ、貰おう」
「くだらない。俺に奪い取る何があるって言うんだ」
「そう思うなら賭けに乗ってみるがいい。俺が全てを手に入れたというのなら」
「クソ兄貴め」
 
 
兄貴のいう賭けとは。簡単な札めくりだった。
机の上に伏せられた札をめくり、大きな数を出した方に1ポイント。
3ポイント先取という、運だけのゲーム。
 
1回戦、俺の引いた札は「8」
「早く引けよ」
「なあ、エドワード、お前は人を好きになったことはあるか?」
「ねえよ」
「俺は、あるぞ」
「そりゃそうだろうよ、既婚者」
兄貴の引いた札は、「3」
 
2回戦。
兄貴は「6」の札をめくりながら、俺に告げる。
「俺は、今の妻を好きだと思ったことは一度もない」
「……口に気をつけな、クズ野郎」
「もっとも、それでいいと思っていたのだが、気が変わった」
心臓が跳ねる。心のどこかで警鐘が鳴る。
「何が言いたい」
「欲しいものを、手に入れる方法が見つかった」
兄貴の笑みが、ひどく不気味に見えた。
汗ばんだ指先で俺がめくった札は「4」
 
3回戦。
俺の札は「J」だった。
しかし、兄貴は悠然と「K」の札を引き当てた。
広げられた札を前に、兄貴は言う。
「彼女は、親父が雇った旅の冒険者でな」
「まさか、そいつを……?」
ひどく口が乾く。頭が重い。
「ああ、どうしようもなく、焦がれた。それでも、無意味だと思っていた」
俺をじっと見つめる兄貴の目。
「お前が、冒険者になろうとしたのが、この夜じゃなければ、きっと決心はしなかった」
 
4回戦。
兄貴が引いた「Q」の札を前に、俺は動けなかった。
勝ち目のある札は、「A」のみ。
震える指先を前に出そうとするが、それも適わない。
ゆっくりと、ゆっくりと俺は札の上に倒れた。
霞む意識のなかに、兄貴の声を聞いた。
 
「これから商会を継ぐお前に、いくつかアドバイスをやろう。
 ひとつ。突然対話する機会を得ても、ノコノコ相手の縄張りに出向くな。罠を恐れろ。
 ふたつ。相手の真意を探れないうちは酒を飲むな。思った以上に集中力を削ぐ。薬が入っていれば尚更だ。
 みっつ。挑発されて賭けに乗るな。相手は確信を以て勝負を挑む」
 
「継ぐ…?」
 
「約束だ、お前の『自由』を、もらうぞ」
 
それが、覚えている限り、兄貴の最後の言葉だった。
 
 
翌日、なぜか自室で目を覚ました俺の周囲で、世界は完全に変わってしまっていた。
『エドワードを次期当主とすると書かれた父の遺書』と共に、
『直前にそれを知り、姿をくらませたウィリアムの書置き』が見つかったからだ。
 
商会は揺れたが、さすがは契約の上で生きるひとつの集合体。
あれよあれよと俺を当主にすえる方向で固まってしまった。
取り残されたのは、義理の姉と、甥っ子、そして当の俺だけ。
ぐずる甥っ子を抱き上げながら、はっきりと、理解した。
 
俺は兄貴に負けたのだ。
 
部屋のすみに置いておいたザックも、
俺が選んだはずのナイフも、
何もかも、完全になくなっていた。
 
 
俺の手の中には、黄金の卵がある。
俺の持っていた卵は、兄貴が奪い去ってしまった。
 
この重たい卵が孵るのは、一体、何年後か、何十年後か。
それでも、俺は思う。
兄貴は、この卵を投げ捨てていった。
なればこそ、俺はこの卵を孵してみせる。
そしてその後、大手を振って、俺だけの卵を取り返しにいこう。
 
 
そう、何十年経っても。
 
 

あしゆ@カルバ SW2.0