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今ここ
   その人は、俺に、自分の教えた歌を歌うな、と言う。
『いいかい、私の教える歌は《覚えた》だけじゃあ歌ってはいけないものなんだ』
 そんなの、聞いたことない。
『お前は、歌い手だからね。そうでなければ、わかっていない歌をそのまま歌うことを止めはしない』
 わかっていない? 書いてあることが全部じゃないの?
『海を知らないものが、海を歌えるかい?』
 そんなものだ、って思って歌えばいいんじゃない?
『そうやって歌われた歌は、《そんなもの》でしかないだろうね』
……じゃあ、吟遊詩人はさ。みんな愛を歌うけど、奴らはみんな愛を知ってるってわけ?
『本当にいい詩人なら、そうだと思うよ』
 ふうん。
『私が教えてやった歌の中で、お前が知っていると言えるものも、あるだろ?』
……森と、鎮魂なら……かなあ……
 たいていのもの、見たことあるよ、とは、何故か、言わなかった。
 
……鎮魂、か。
 口からすとんとこぼれ落ちた、その言葉を胸で繰り返した。



 小さい頃は、妹と母親と三人でエルフの里で暮らしてた。まあ、迫害されながら、と付け加えてもいいかもしれない。
 母親は、自分の寿命が長くはないことに気づいていて、自分が死んだあと、俺達兄妹が酷い目に遭うことを考えて、……俺が十歳ぐらいの頃、だったかな。
 子供を連れて里を出た。まあ、人間社会に慣れさせることが、子供にしてやれる最後のことだと思ってたんだろう。
 そんなことを、言っていた。
 
 母親が死んだのは、それから五年は経ってなかった、と思う。
 最期の頃には、俺は酒場で母親に教わった歌を代わりに歌って、薬代や生活費を稼ぐようになっていた。
 その生活は、妹と2人きりになっても変わらず。
 そのうちに、『もっとお金あげるよ』って言われて兄妹揃って金持ちの家に厄介になったりもして。
   そういうのの意味に、鈍感だったら、いっそよかったのかなぁ、と思うこともある。



 何軒めかで、若いおばさんの家の専属バードになってたときのことだ。そのひとは、流れるような黒い髪を誇りにしていたのを、覚えている。
 俺は、母親に最期まで妹のことを頼まれてたから、そのひとにどこに連れて行かれ、何をもらうにしても、半分は妹にいいとこがいくようにしてた。
 そしたら、細い眉を逆立てて、その人が言うんだ。『そんなじゃ、妹さんだって好きに生きられないでしょう?』
 
 その言葉の通り、妹はそれから数日のうちに、別れの言葉を残して去っていった。
 まあ、俺がこんな商売だから、仕方ない。
 妹とは、それきり。
 何をしてるのかも、どこにいるのかも、知らない。



 その女主人とも別れ、いろんなとこを転々とした。しばらくは、……そうだな、最底辺の宿で客を取ったりも、してた。
 その頃は母親に教えてもらった歌じゃなくて、いつも客が好むような安っぽい愛の歌をかき鳴らしてた。
 昔は、声がよく通ることとか、綺麗に和音が出ることとかも気にしてたけど、そんなもの、もう価値がないものだってわかってた。
……客が好む目つきとか、服装、気を惹くような言葉、そういうのばっかり上手くなった。


 身なりのいい兄ちゃんが、俺を呼んだ。
 お兄さん真面目そうだけど、楽士を買ったりするんだ? って、訊いたら。
『いや、私じゃない。
 とある老人がいる、衣食住の面倒はみるので、しばらく一緒にいてやってくれないか』
   そう、言われた。


 もう、じいちゃんかばあちゃんかもわからないような、ばあちゃんだった。
 俺がそれまで厄介になった、どんなお屋敷にも引けを取らないぐらい立派な家に住んでて、
 もう、その家どころか、寝室からも出られそうにないぐらい、弱ってた。
 そして、なのに、いろんな歌を知ってて、次から次へと覚えろって言う。
……他にすることもないから、そうした。
 家の門はいつも開いてたけど、どこかに行こうとかも、特に思わなかった。


 あるとき、こんなやりとりもあった。
『親には、なんて思ってる?』
 別に……ふつう。あ、感謝してる。
『感謝?』
 うん、感謝しなきゃいけないって、言うでしょ?
『……お前は、怒ってもいいと思うよ。
 お前がそれをしたいなら』


 その人が昔何をしてたのかとか、なんで今俺にこんなことをしてるのかとかは、別に、聞かなかった。
 レパートリーをだいたい覚えたあたりで、その人は亡くなった。


 その時のためにあつらえられた服をもらって、たくさんの人の前で、鎮魂の歌を、歌った。
 わかってるなら、歌ってもよかったんだ。
   そうだろう?

 葬式が終わってからぼーっとしてたら、式の采配が終わった最初のお兄ちゃんがまた来て、訊く。
『君、これからどうする』
 お兄さんの専属の楽師になろうか?
   それより、私は君にやってほしいことがあるなあ』
 
 それは何かって、俺は聞いた。
 渡されたのは、まとまったお金の入った袋だった。
『しばらく世の中を見ておいで』と、一言。
 たいていのもの、もう見てる、とは、答えなかった。

 
 そうしたら、俺はあんたの歌を全部、歌えるようになるのかい?

 
 俺は袋を受け取った。
 そして、
「そういえば、俺、妹がいたんだっけ」
 って言って、初めて、その家の門を、あとにしたんだ。
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紫嶋桜花@ディルウェン SWRPG