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Restless Waves

feat. NO(潮風を想う) 海色の郷愁改稿
 青い鱗がいちまい、掌の中にあった。その色は生まれて初めて見た本物の海よりも、よほど海らしかった。

 初めて見た海に自分は少し落胆したのかもしれない。だってそれは、あの人に教えてもらった歌のように輝いてもいなければ澄んでもいなかった。お世辞にもきれいとは言えない、青とも緑とも付かぬ色。
「海は、もっと、きれいです。でも、ここの海は、かなしい色が、します」
 そういうものか。それならば海は案外森に似ている。
 納得して、掌を開く。めいめいに受け取った人魚との約束の証。
「これ、いくらになるんだろ」
 つぶやいたら、仲間たちに咎められた。
「う、売っちゃう、んですか?」
「お前は! 何考えてんだ!!」
……反省しなけりゃいけないところだったのかもしれない。少なくとも尋き方を。でもそれより前に笑いがこみ上げてきて、それと一緒に口は動いた。
「や、だって。女の子に贈るなら、価値を知っとかないとでしょ?」
 怒鳴った相手は剥いていた目をまたたくと、少しごにょごにょ言った末に黙った。呆れられたのかもしれない。それもなんだか悪くない。
 でも、どういうわけか値段はきちんと教えてくれた。
──慣れ親しんだ街を、ふと想った。

 贈るより贈られる側だった。喜んでみせれば相手も満足する。だが、契約が切れた後、食費に換えることができることが一番のメリットだったかもしれない。……こんなことを言ったら、やっぱり彼らには怒られるか呆れられるかするのだろう。
 そうやって今手元に残ったものはほとんどない。その都度代わっていた贈り主の面影も。
 慣れ親しんだ、手に入らないものはない、と言われる街を歩く。そんなに大それたものを探しているわけではない。装飾品の加工屋だ。
 約束の証、記憶のよすがだなんてあてになるものか。それらはいつも裏切り者だ。
 じきに加工屋は見つかった。太い腕と指の人間の親父が、繊細な見本を並べている。そのギャップが気に入った。
「女の子に贈る、とな」
 口が勝手に紡ぎ出した仮定だったが、その通りにするのも一興だった。
「じゃあ何か文句を刻むか?」
「文句、って?」
「そりゃあ、兄ちゃんが考えるんだよ。オーソドックスなんだと、愛をこめて、だとかだな」
 また、愛か。
「そんなもの、ロマールだったら路地裏にいくらでも転がってるでしょ?」
 さながらいつかの自分のように。
「名前とかも別に。恥ずかしいし?」
 しれっと続けたら親父に大いに笑われた。
「他にゃあないのかい? その、耳に付けてる石もいいもんじゃねぇか。サービス価格でちょちょいといじってやろうか」
 言われて、ついそこに指をやる。
 いつだったか、荷物の底から出てきた耳飾り。売る気にならずに身につけていた。青と緑の融け合ったような色。
 誰に貰ったという記憶もないから、もしかしたら自分で買い求めたのかもしれない。珍しいこともあったものだ。
「や、これは……。
 ちゃんとしてもらうほどのもんじゃないから。いいや」
 ふむ、と親父は軽く相槌を打ち、それきり追及はない。押し強く営業をするタイプではないようだ。
「わかった、意匠に注文はないんだったな」
「うん、かっこよくしてよ」
「任せとけ、最新流行の型に仕上げてやるぜ」
「うん、期待してる」
 前金と薄い笑顔を残して、店を後にした。風が昨日よりも涼しい、もうそんな季節だ。

 この街を一緒に歩いたはずの、母親の顔はもう覚えていない。もしかしたら、身なりを整えるために覗きこむ鏡のなかに、そのヒントが紛れ込んでいるのかもしれないが。しかし、そこからこちらは正真正銘見たこともない父親の影を除去する手間は実に面倒そうだ。
 それでも幾年運命を共にした妹の、目の色だけは鮮明に覚えている。最後の数年は、まっすぐ目を見ての兄妹の会話なんてものもなかったのに。青と緑、そのあわい。
 いつかどこかで、ふとこの石に目を留めたのは、忘れたくないと思ったからだったのかもしれない。あてにならないはずの記憶のよすがまで用意して。
 そうまでして、俺は覚えていたかったんだろうか。自分を縛るものが必要だ、とでも。

──ああ。
「結局、歌は聞けなかったな」
 いにしえの人魚のこえ。狂気が産んだ凶器。彼女が何を歌っているのか、……なにを識っていたのか、興味がなかったといえば嘘になる。
 彼女が希う帰る場所とやらは、どんなものだったのかも。
「まいっか、愛の歌とかだったら困るし、ね?」
 人魚が口にし、加工屋が口にする、寄せては返す、その言葉。
 今の自分には、歌う資格がないもの。金で売れると信じていたもの。

 たくさんのレパートリーを仕込み、同時に自由に歌うことを禁じたあの人は、他のいろんなものと同じように愛を歌うことも禁じた。それを知るまで歌ってはいけない、らしい。
 もういない人だ。契約は切れている。だが、それでも言い付けを破る気にはなれなかった。従っているのは楽だ、……名前も知らない相手だが。
 ああ、──名前は聞いておいたほうがよかったのだろうか。
 あの人魚に、彼は名前を聞いていた。それはなぜか、あんたの話を聞くことに決めた、と宣言しているように聞こえた。俺も、律儀にあの人の言ったことを守るくらいなら、きっと。

「……でも今なら、海の歌なら歌える、かな」
 森に似た深み。そう言っても、理解してくれる人は珍しいだろうけれど。
 高い空に視線を投げ、手放したばかりの青を思う。
 きっと仕上がったアクセサリーは行くあてもなく、荷物袋の中に沈むのだろう。流行が廃れる前に誰かに遇う、そんな奇跡を想像して、むしがいいとひっそり笑った。
 そして、忘れ得ぬ眼差しの持ち主の名前は、愛-Celwyn- と言った。

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紫嶋桜花@ディルウェン SWRPG