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月夜の晩に
――此処か? お前のお勧めの店というのは
――お世辞にも綺麗とは言い難いが……中々どうして、趣味のいい所だ。
 
――さて、何にせよ再会の杯と行こう。
  ……ああすまない、これに麦酒を、私に葡萄酒を。
――……何がおかしい
  ……ああ、判っているとも、お前の言いたい事は
――……仕方あるまい、苦味が口に合わんのだ
  ……ええい、笑うならもっと堂々としていろ!
 
――……む、どうした?
――ああ、額当ての事か
――お前は知らんだろうが、ここを離れてすぐの話だぞ?
――……私にも、それなりに思う所はあったさ
――だとて、恨みに思うほどの事でもない
――私はただ、あの家に在るには、『何か』が足りなかっただけ。
  ……それだけの事だろう?
 
――……おい、少し過ごしているぞ。
――お前が、そう言ってくれるのは決して悪くない。
  だが、もうとうに終わった事だ。
――……本音を言えば、私はそれなりに満足しているんだ
――誰に迷惑をかけるでなし、自らの在り様のまま生きる事が出来る。
  ……それは、あの家では決して成しえなかった事だ。
――無論、誓ったこの身が果たせないというのに、忸怩たる思いが無いでもないが
――だからと言って、それは誰の所為でもあるまいよ
 
――……やれやれ、だから過ごしていると言っただろうに
――店主、済まないがこれを上の部屋に。
――ああ、払いは私の方で。
――これでも、乳兄弟なものでな。
――ふふ……最近、そう言われるのも悪くないと思えてきた所だ
――さて、これで足りるだろうか?
――なに、迷惑料だ
――それなら、周りの連中に振舞ってやってくれ
――……そうか、それなら一つ頼まれて貰おうか
――それが起きたら、こう伝える様に言ってくれ。
 
――『貴方の娘は、最期まで己であろうと思います。
   もし、名を耳にする様な事があれば――
   月の綺麗な夜、杯を傾けて下さい。
   きっと私も、どこかで祝杯をあげているでしょうから。』
NO@スピネル SW2.0