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東日本大震災を被災しての教訓 2011.03.16執筆、2012.08.22公開、2012.09.11更新


平成23年(2011年)3月11日(金)の午後2時46分、宮城県の沖合いを震源地にするマグニチュード9.0の大地震が発生し、主に津波による大被害が発生しました。
マスコミでは「東日本大震災」と言う呼称が定着しつつあるようです。

仙台市在住の私は被災者となりました。
仙台市の揺れは「震度6弱」と発表されましたが、幸い、海から遠い高台に住んでおり、地盤が堅固で、家自体が頑丈であったようで、揺れによる被害は軽微で済みました。窓ガラスの破損はゼロ、家具の転倒はゼロで、本棚から本が散乱した程度です。オーディオラックに入っていたアンプが宙を飛び、床に激突するという被害が最大被害でしたので、仙台市民の中では被害が最も少ない部類と言って良いでしょう。幸運を神に感謝します。小学校に行っていた子供も、家内が学校に迎えに行き、無事に帰ってきて、夫婦と子供3人、計5名での被災生活が始まりました。
以下、物資面から、被災生活で学んだことを述べます。私自身が、このような大災害にこれから先に遭う可能性は少ないでしょうが、他山の石となさって下さい。

この文章の基幹部分は、大地震の直後の2011年3月16日に書いたものです。


地震発生時の、物資の備蓄状況は下記の通りです。



<食料品>

1) 非常用飲料水 2リットル X 24本 (48リットル)
「富士ミネラルウォーター (5年保存)」

2) 非常用缶入りパン 24個 (1ケース)
「パン工房いそっぷの5年保存パン」

3) 非常用のご飯パック 5個 (水またはお湯を入れると食べられる)

4) 食パン 1.5斤 X 2

5) 各種のほぼ一週間分の食料 (宅配の生協「あいコープみやぎ」に加入しているのですが、この日が毎週の配送日でした。地震が発生した「後」に、注文していたものを持ってきてくれました。危険な中、貴重な物資を約束通りに持ってきてくれた生協さんには感謝するばかりです)

6) 白米 20キロ

7) カップ麺「緑のたぬき」 8個くらい

8) ブドウ糖 2袋

その他、アメ、チョコレート、柿の種などお菓子類。


<生活用品>

A) 33時間使える災害用ロウソク 1個

B) 懐中電灯(単一電池2本使用) 2つ、新品・使用期限内の単一電池6本

C) 灯油: 180リットル屋外タンクに3/4程度

D) ガソリン: クルマにほぼ満タン状態

E) 台所のガスコンロのプロパンガス: 十分な量があり、地震直後から使用可能

F) 風呂桶に、約半分の水がたまっている状態。断水の場合、水洗トイレを流すために重要になります。

G) ベビー用品のお尻拭き、消毒用ウェットティッシュ: かなりの量。断水の状況で、これは非常に役に立ちました。お尻拭きの方が役に立ちますが、食器を拭いたりするには消毒用ウェットティッシュの方が良いので、両方必要です。

E) ポンプ式の消毒液 2個。手が洗えませんので、大便の後など、手を消毒して、経口の食中毒などを防ぐのに役に立ちました。


地震の直後に停電しました。水道は、最初の日は、濁った水になるものの普通に出ていて安心したのですが、夜半に水流が細くなり、翌朝には断水してしまいました。


さて、私はそれなりに防災意識を持ち、5年保存の飲料水と非常食を備えておりました。飲料水は十分な量を備蓄していたと言えますが、非常食は、結論から言うと全く不足でした。

パン工房いそっぷの5年保存パンは「普通の菓子パンと同レベルの味を5年間保ち、水がなくても食べきることができ、女性や子供なら1缶が1食になる」という、たいへん優れた非常食です。
しかし、この製品は、1食につき、成人男性・育ち盛りの少年は2本、それ以外は1人1本で、「まあまあ十分」というものです。夫婦と子供3人の5人家族ですと、一食で6本は必要ということになります。私が備蓄していた24本では、4食で食べきってしまう量でしかありませんでした。
事前に、災害を想定して「1日、このパンだけで生活したら、どのくらいの量が要るのか」を検証しなかったのが悔やまれます。

5人家族の拙宅の場合、5年保存パンは、6個 X 3食 X 4日 の「72個=3ケース」は、最小限用意しておくべきでした。

最初の一食を、5年保存パンで済ませて、これだけでは全く足りないことが分かったので、手持ちの食料を活用して「食い延ばし」を図りました。
3月の仙台はまだ冬の気温であり、電気が止まっても、冷蔵庫の中の食品、生協が品物を入れてくれた発泡スチロール製トロ箱の中の食品が劣化しなかったのが幸いでした。

まず、食パン1.5斤を2食に分けて食べました。次いで、私は非常用のご飯パックを「5食」食べました。その間、妻と子供は、5年保存パンを、一食に2本ずつ食べました。一人につき1/2本ですから全く足りませんが、空腹感は、お菓子類を適宜食べることで凌ぎました。

このような炭水化物オンリーの食事ですと、体に力が出ません。(5年保存パンを十分食べられれば話は別でしょうが)

そこで、プロパンガスのガスコンロが普通通り使えることを利用して、手持ちの食品の中のソーセージ、ベーコン、豚コマなどをアルミ箔を使って焼いてタンパク質と脂肪を補いました。一人あたりにすると多い量ではないですが、肉を食べると体に力が湧いてくるのが良く分かりました。手持ち食品の中に牡蠣があったのですが、これは敢えて食べませんでした。食中毒を起こしても医療を受けられないからです。

また、補助食品として一番効いたのはチョコレートです。昔から「災害時にはチョコレート」と言いますが、本当です。

家内が一番体を動かすのに食料が足りないので、朝と晩にブドウ糖を1個ずつ摂取させました。家内は自家中毒体質で、疲労が蓄積すると突然倒れてしまう前例があるのですが、自家中毒の「治療薬」はブドウ糖のみですので、その防止を兼ねています。

家の暖房は灯油を熱源にしているのですが、電気が通らないと運転できません。暖房装置は一切使えないので、「家の中で、外用のコート、ズボン下、帽子などで着ぶくれし、昼間は日光で暖を取り、日が暮れる前に夕食をとってトイレに行き、日が暮れる頃に布団に入る」ことで寒さを凌ぎました。電気がないと、日が暮れると何も出来ないのでこうするしかありません。こういう状況ですが、「33時間使える非常用ロウソク」は役に立ちました。ロウソクの光一個でも、真っ暗とは全く違うものです。


このような生活をしているうちに、地震から2日半経った、3月13日 午後8時30分頃に電気が回復しました。暖房が出来るようになったので家の中で着ぶくれしなくて済むのは実に有り難いことです。ただ、家の暖房が灯油を熱源にしており、普通に運転すると12日ほどで180リットルタンクが空になってしまうのですが、灯油の宅配がいつ復活するか全く分かりません。ですので、ふだんは使わないエアコンの暖房機能を利用して、灯油の暖房は消しておくことにしました。給湯器も灯油なので、灯油の宅配が再開されるまでは灯油を極力節約しなければなりません。


今の所、皆さんにお伝えすべき教訓として、

非常用に用意しておき、使用期限が来たら新しいものを入手してから古いものを消費すべきもの (注文した翌日に災害が来ることも有り得ます。新しいものを入手してから、古いものを消費しましょう)

1) 家族が、4日間 (12食) 保つだけの非常食。
今回の事例では、私は5年保存パンを24個(1ケース)用意していたのですが、夫婦+子供3人である以上、72個(3ケース)の用意が必要であった、ということです。
4日分以上を用意するのは、被災者の立場でもあまり現実的ではないと思います。5年保存パンは、1ケース(24個)で約8千円ですので、4日分で2万5千円になります。非常食が必要になるような大災害は普通は来ませんので、これを5年ごとに更新するのはそれなりの負担になります・・・
なお、「災害備蓄用の缶入りパン」はいくつかの製造元から発売されていますが、「3年保存(37ヶ月保存)」のものも見かけるので注意が必要です。例えば30年間で、5年保存パンは6回買えば済むのに、3年保存パンは10回買わねばなりません。長い目で見るとずいぶん違いますので、「5年保存パン」をお選び下さい。
昔からある「乾パン」は、何日も食べ続けるのはキツイでしょう。もちろん、飢えを凌ぐ効果は缶入りパンと変りませんので、ないよりはあった方がマシですが。乾パンは、非常食の柱にするには役不足です。

2) 十分な量の非常用飲料水。5人家族で、1日に4リットル (2リットルを2本) くらい必要なようです。今回、48リットル (2リットルを24本) 用意してありましたので、これは十分でした。

3) 断水に備え、手や体を綺麗にするためのお尻拭き・消毒用ウェットティッシュ・ポンプ式消毒液。これがないと、想像を絶する惨めなことになるでしょう。また、災害時には医療機関は使えなくなりますので、「手が不潔なために、食中毒を起こした」などということになったら最悪です。

4) 停電に備え、防災仕様の大きなロウソク (燭台がなくても使えるもの) と、複数の懐中電灯、使用期限内の電池。懐中電灯は単一電池を使う昔ながらのものが良いです。電池は使用期限があるので、定期的な更新が必要です。

上記があれば、家が潰れて避難所に退避したりすることにならない限りは、ライフラインの復旧まで何とかなるでしょう。
他にも家には様々な物資があるはずですので、それらを動員すれば、非常食が切れた5日目以降も食いつなげるはずです。

また、自宅の浴槽は、なるべく水を入れて置いた方が良いです。いざという時、トイレを流す雑用水がないと大変なことになります。井戸が使えたり、天水備蓄タンクが庭にあったりすれば良いですが。
仙台市の八木山地区では、大震災の後、1ヶ月も断水が続き、住民は雑用水の確保に大変な苦労をしたそうです。断水が1週間強で解消された拙宅の近所でも、雑用水を求めて、溜め池からバケツで水を汲んだ人がいたそうです。


(2012年8月22日 追記)

大地震から1年半が経ち、仙台市の旧市街では、既に地震の痕跡はほとんどありません。古い家がかなり取り壊され、新しい家がたくさん建ちました。大きなビルの取り壊しや大改修は1年半が過ぎて順番が回ってきたようで、結構見かけます。

東日本大震災は、3月上旬という「仙台でも厳冬期は既に終わって、春が始まる時期」に起きました。この発生時期は、結果としては一番影響が少なかったと言えます。厳冬期の12月〜2月であれば寒さに耐えるのはより大変だったでしょうし、6月から8月の暑い時期にこの大地震が起きていれば、2日半の停電で冷蔵庫の中のものは全てダメになったでしょう。真夏に停電で冷房が使えず、1週間の断水で手も洗えず入浴も洗濯も出来ないとなれば、その苦痛は、東日本大震災で経験したものより遥かに大きなものとなったでしょう。

3月上旬でまだ寒かったから、冷蔵庫の中のものは電気が復旧するまで冷蔵庫の扉を閉めていればほぼ保ちました。寒さも、家の中で着ぶくれし、太陽光を活用して「日が暮れたら寝る」生活をしていれば耐えられました。

さて、上記の文章を書いた、大地震から1週間経過していない2011年3月16日の段階では分からなかったのですが、仙台市内ではその後、深刻な「店に行ってもモノが買えない」状況と「ガソリンと灯油が買えない」状況が発生しました。

後者の「燃料が買えない」状況は、燃料を海路運んでくる内航タンカーが入港する港が津波で破壊されたのが主因だったようですが、地震から3週間はガソリンスタンドに常時長蛇の列が出来ている状態が続き、3週間経過した3月末頃に突然解消しました。ウチでは、ガソリンが買えるようになるまでは、幸い満タン状態だったクルマの使用を最小限にして、何とか凌ぎました。

仙台では、暖房に灯油を使い、家の外にホームタンク(180リットルが多い)を設置し、灯油販売業者の定期給油を利用している家が多いのですが、同じく3週間ほど、「週に10リットルしか供給できません」と生協の方に言われてしまう状況が続きました。灯油10リットルは、半日暖房できるくらいの微量です。屋外のホームタンクから灯油を盗む奴がいないか不安だったのですが、私の家は外から入って来にくい構造なのも幸いしてか泥棒は来ませんでした。他の家で、ホームタンクから灯油を盗まれたという話も聞かないので、少なくとも仙台市の旧市街では最低限の治安は保たれていたようです。

地震から1週間は、まるで戦時中のように「店に行ってもほとんど何も買えない」状況でした。その後、段階的にお店が元に戻っていきました。3月末に燃料不足が解消されて物流が復旧してからは復帰の速度が上がり、4月7日深夜の大余震で大型店が被害を受けて一時的に状況が悪化したため、「どうやら正常にモノを買えるようになった」のは、4月の中旬頃だったと思います。

「大震災と言われるような地震が発生すれば、最低1週間は、お金があっても何も買えない」
状況になる、ということは、読者の皆さんもぜひご記憶下さい。

私の周囲では、「家に大きな被害はなかったが、家に物資がないために小学校体育館などの避難所に行かざるを得なかった」人がかなりいました。また、行政機関の有する非常用物資、さまざまな救援物資などは、もっぱら避難所に振り向けられ、自宅で辛抱している人には全く回らなかったようです。これは、事態が落ち着いてから、仙台市内外のいろんな所に住む親戚知人に聞いても
「救援物資が、町内会を通すなどして家庭単位で配られることはなかった」
そうですので間違いないでしょう。

自宅で復旧を待てる状況であること自体、たいへん幸せである、というのは確かですが
「自宅にいる限り、誰も助けてくれない」
のが大災害の後の状況である、ということも、また確かなようです。


今回の地震で、仙台市民を最も苦しめたのは「仙台市営の都市ガスが、復旧まで1ヶ月以上を要した」ことでしょう。私の家は、給湯は灯油、台所の炊事はLPガスで都市ガスと無縁なのでこの影響を受けず、地震から8日目の3月19日(土)の昼に水道が復旧した時点でライフラインが回復しました。風呂に入れない親戚にお風呂を提供することが出来、仙台市民の中でも恵まれた部類に入ったと思われます。

なお、地震の発生後に判明したことですが、仙台市の旧市街の中心部、地名で言うと「上杉」「木町通」「支倉町」などと言われる地域は、地震の後も水道が普通に使えたそうです。こういう地域は、都市ガスの問題は別として、地震から約2日後に電気が復旧した段階でライフラインが回復した訳ですから、仙台市中心部の地盤の強靱さというのは大したものだな、と改めて感心しました。

また、東日本大震災では「仙台市の沿岸部」が津波で大被害を受けました。家族や家屋をなくされた方は本当にお気の毒です。ただ、津波の被害を受けた地域というのは、全て、仙台藩が成立した17世紀初頭に伊達政宗が定めた「仙台城とその城下町」には含まれない地域(もともとは、仙台市近郊の農村)でした。仙台市の旧市街には津波は全く達しておりません。

阪神大震災では、幕末以降に海沿いを埋め立てて作った地盤に建つビルが倒壊する事例が多発した模様ですが、東日本大震災では、仙台市の旧市街で倒壊したビルはたぶん「ゼロ」です。これは、仙台市の旧市街(仙台城跡とその城下町)が、広瀬川の河岸段丘の上に立地しており、地盤が強固であることが大きく影響していると思われますが、伊達政宗とその家臣たちが、仙台城とその城下町を作る場所を選定した目の確かさには驚くばかりです。仙台市中心部で水道が被害を受けなかったのも、地盤が堅い恩恵でしょう。


東日本大震災の後は、福島の原子力発電所の放射能災害という予想外の事態も発生して世の中が落ち着きませんでしたが、地震から半年くらい経って防災物資の供給体制が復活した2011年夏ごろに、私の家では、非常食の根幹である

1) 非常用飲料水 2リットル X 24本 (48リットル)
「富士ミネラルウォーター (5年保存)」

2) 非常用缶入りパン 24個 (1ケース)
「パン工房いそっぷの5年保存パン」

の2つを、改めて買い直しました。

非常用飲料水 2リットル X 24本 (48リットル)
「富士ミネラルウォーター (5年保存)」
については、2リットル X 24本 (48リットル)をそっくり新規購入しました。これで5年間は安心です。東日本大震災の際に半分くらい使った分は、賞味期限が来るまでは手を付けずに置いておき、順次消費していきます。

非常用缶入りパン 24個 (1ケース)
「パン工房いそっぷの5年保存パン」
は、6ケース(144個)を新規購入しました。家族5人で7日間、これだけで飢えずに済む量です。

5年保存の「水」と「非常用缶入りパン」をこれだけ備蓄すると、相当なスペースが要るのが現実です。外の物置などに保管しては品質が劣化しますので室内保存しないといけません。幸い、納戸として使える涼しい部屋があるのでそこに置いていますが、これは地方だから出来ることでしょうね。

それ以外に必要な「お尻拭き」「消毒用ウェットティッシュ」「懐中電灯」「単1電池」「トイレットペーパー」「ティッシュペーパー」などは、常に一定量を買い置きしておくようにしています。「お尻拭き」は、飼っている犬の世話をする際に使うのでムダにはなりません。なお、犬のペットフード類も常に買い置きしております。

また、クルマのガソリンは、これは東日本大震災の前からなのですが、残量が半分を切る前に、こまめに満タンにするようにしております。風呂桶の水は、入浴後も翌日まで抜かないようにして、トイレを流す雑用水を確保しています。

東日本大震災と、その約1ヶ月後の4月7日深夜の大余震(本来の「宮城県沖地震」だったらしいです)が起きた以上、私が生きている間に仙台に大地震が再び来ることは有り得ないとは思うのですが、「備えあれば憂い無し」と考えております。