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受験英語は無駄か? 1999.06.26


大昔から言われていることだと思いますが、日本の教育制度を語る際には必ず

「日本の英語教育は役に立たない。中学・高校・大学と8年間も英語を勉強しても一言も話せないではないか。すべからく、明治以来の文法偏重英語教育を廃し、会話中心の英語教育に移行するべきだ」

ということが言われます。しかし、学校教育の成果として、英語を話せる日本人が目覚しく増えているという話はあまり聞きませんね。また、受験英語だけでは英会話が出来ないというのも乱暴な話で、高校の時に英会話学校などとは無縁なクラスメートが「昨日マクドナルドに行って外人といろいろ話したよ」などと言うので驚いた記憶があります。ただし、彼は東大文一に現役で受かる秀才でしたが。

私は、会社の中では「あいつは英語ができる」ということになっております。できることとしては、
* 新聞雑誌を辞書なしで読めます。
* 洋画を字幕なしで理解できます。
* 日本語を解さない外人さんと二時間くらい一対一で話すことができます。
というくらいですが、まあ日本人としては英語が出来る方でしょう。

で、「受験英語は役に立ちます。ただし、本気でやれば」と断言したいと思いますね。先ほどのような「会話重視英語教育が正しい」という主張の背後には、「文法など知らなくても英語は読める」という前提があると思うのですが、それはウソです。


インターネット時代になり、今までにも増して「英文を速読して大意をつかむ」力が求められているわけですが、速読と言うのは長い年月をかけて膨大な量のリーディングを繰り返し、

を養成して初めて可能になることです。良く「学問に王道なし」と言われますが、その典型と言えましょう。

だいたい、大学に入ると何やら第二外国語としてフランス語やらドイツ語をやらされますね。皆さん苦労して単位を取るわけですが、その結果としてフランス語やドイツ語の本が読めるようになった、会話ができるようになったという人が存在するのでしょうか?語学と言うのはそんなに甘くはないのです。

ちなみに、私も大学を卒業して会社に入った頃の英語力は今考えるとお粗末なものでして、入社後に勉強好きの上司と経済学書の原書購読をやったり、インターネットで英文をただで読んだりしている間に長足の進歩を遂げたと自負していますが、それも受験英語での基礎があってのことです。


会話力という代物ですが、これには

が必要になりますので、とても学校などでできることではありません。英語が必要な人が、受験英語をマスターした後で自分で取り組むしかないと思います。当然多大な苦痛とコスト(金銭・時間)を要しますので、本人のやる気がなければ不可能ですね。また、日本に安住して会話力を身につけると言うのは至難の技で、海外に行って「英語を話せないと生活できない」という状況を作らないと難しいでしょう。誰にでも出来ることではないわけです。

更に都合が悪いことに、日本語の発音と英語の発音と言うのは根本的に異なるので、「日本語の発音をマスターした人間は、決して英語の発音をマスターできない。逆も然り」という事実がどうも存在するようです。ですので、日本人である以上は、ネイティブの発音など出来ないものと割り切らねばなりません。日本人であることを止めるのは無理ですから、無駄な努力は止めた方がいいでしょうね。

このように言うと、「子供の時から日本語と英語を両方やらせたら、バイリンガルの国際人になれるじゃん!」などと考える人が多いでしょうが、これをやると恐ろしい副作用が出ることがあります。お子さんが可愛ければ止めておく方がいいですよ。