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大相撲を考える 2003.03.18公開、 2004.02.21追記


最近、大相撲の人気低落についていろいろ論じられています。新聞などの論調を見ると、要するに今の相撲界がスター不在で、見ても面白くないからだと言う意見が多いようです。どう言う力士がスターなのか良く分かりませんが。


私は、相撲というのは今の日本社会に合わない点が多々あり、衰退するのが当然のスポーツ(というより、見世物)であると考えます。


1. 相撲界に入るには、ハッピーリタイアメントを達成した元力士が経営する「相撲部屋」なる組織に属し、現代日本では他に類を見ない、戦前の軍隊の内務班生活のような苦行に耐えなければなりません。

現役力士が、引退力士の経営する個人企業の使用人であると言うのが、第一に時代錯誤です。要するに、先輩が後輩を順繰りに搾取する制度が相撲部屋制度であると言えるでしょう。そんなスポーツ、他に聞いたことがありません。

そのような異常な状況を知っていて、なおかつジャパニーズ・ドリームを夢見て相撲界に身を投じる青少年が、モンゴルなどの発展途上国出身の外国人ばかりになるのも無理はありません。かつて、東北出身の力士が多かったと言うのも、貧困のために、力士になるためのリスク、苦行を甘受しうる、今の発展途上国出身者のような力士志望者が多かったからでしょう。例えば、先日引退した貴乃花の祖父である初代若乃花は、沖仲仕で生計を立てる極貧の家庭から相撲界に入ったそうです。どんなことをしても、相撲で身を立てて家族を養わねばという状況だったわけですね。

「力士志願=貧困からの脱出」という図式は、どう考えても不健全であると思います。


2. 相撲というスポーツは、裸の上に廻しを締め、土で作った土俵の上で戦うという、かなり恥ずかしくかつ危険なものです。安全に対する配慮など、どこにもありません。これは、同じような日本の格闘技である柔道や剣道と比べると、直ちに理解できます。相撲と近いのは、ボクシングでしょうか。これも、貧しい層、失うものを持たない層から志願者を募る「スポーツというよりは見世物」であるようです

私は中学の時に剣道をやっていまして、防具が機能性に欠けているとか、袴の中に寒気が吹き込んで冬は辛いとか、突き技が危険であるとかは知っていますが、相撲のように裸でやるわけではないですし、危険性は剣道の方がはるかに少ないです。

子供に、柔道や剣道、あるいは空手や合気道のような日本の武道をやらせようという親、やってみたいと思う子供は多いでしょうが、相撲についてのそれは圧倒的に少ないでしょう。そのくらい、社会常識から外れた「スポーツ」なわけです。何しろ、「東大柔道部」や「東大剣道部」は、文武両道の見本として各界に人材を輩出しているわけですが、「東大相撲部」については聞いたことがありません。

現役力士の誰かの父親の手記が文藝春秋に載っていて、息子を力士にするために大人の食事量の2倍だかを無理やり食わせたとか、自宅の庭に土俵を作って、息子を鍛え上げたとか、「巨人の星」の星一徹のようなことが得意気に書いてありましたが、正気の沙汰とは思えません。こういうオヤジとはお付き合いしたくないですね。

力士として活動するには、常人の2倍の体重をつけねばなりません。力士の太鼓腹は筋肉でできていて、触ると堅いそうですが、体にとてつもない無理がかかっているのは容易に想像できます。興行のために人間の化け物を作り出すということが正しいとは私には到底思えません。


3. 相撲中継を見ると、土俵の周りを桝席が広く取り巻いていて、いくら相撲人気が落ちていると言っても、満員です。いつも、この人たちはどうやって切符を買っているのだろう?と不思議に思います。まあ、巨人戦の中継を見る時も似たことを感じますが。

新聞では取り上げられませんが、相撲の桝席を販売する権利は、既得権として「相撲茶屋」が持っているのは周知の事実です。相撲茶屋とは、相撲部屋同様に親方が経営しているそうですが、運営の実態は不明、普通の相撲ファンはアクセスすることができない「一見お断り」の世界です。何でも、桝席で相撲見物すると、一人10万円くらいかかるとか。

文部科学省が監督する財団法人である日本相撲協会が行う興行の入場券が、このような不明朗なしくみで売られていると言うのは不思議です。これが、読売ジャイアンツ(株式会社読売興業でしたっけ?)と同様、株式会社日本相撲協会であれば、切符をどう売ろうが勝手なんですがね。

一般のファンは、土俵から遠い2階の椅子席にしか座れない状況を放置しておいて、「相撲人気が落ちて大変だ!何とかしないと!」もクソもないと思います。


大相撲が、

1. 相撲部屋・相撲茶屋の経営によって、ごく僅かな元力士や関係者が利益を得るために存在し
2. 一攫千金に惹かれる貧しい若者を、苦行、負傷、肥満による短命で犠牲にし
3. 一般の相撲ファンをないがしろにする


存在である以上、国技の名に値しない反社会的存在だと考えます。こうして考えてみると、最近話題に上るカジノ(または公営ギャンブル)に良く似ていますね。


私が上記の文章をアップした翌日、朝日新聞のWebに、相撲人気の低落を嘆くコラム「寒い寒い春場所」がありました。論旨は、私が最初に書いた「要するに今の相撲界がスター不在で、見ても面白くないから」で、目新しさはありません。

この文章を書いた、朝日新聞編集委員の石井晃氏は、「今年も、スポーツ部の同僚に頼んで、枡席のチケットを手に入れ、喜び勇んで観戦に出かけた」そうです。羨ましいご身分ですね。全国紙の記者ともなれば、気軽にハイヤーで国技館に赴き、いとも簡単に桝席に座れるのでしょう。

とにかく、空席が多いのに驚いた。土俵下のたまり席や枡席はともかく、イス席に空席が目立つ。2階の席にいたっては、空席の方が多いくらいだ。」という嘆きはありましたが、桝席チケットの徹底的に歪んだ流通に対する、新聞記者としての考察はやはりありませんでした。

「石井さん、自分の金で2階席に座って双眼鏡で観戦したいと思いますか?」と聞いてみたいですね。


(2004.02.21 追記)

この文章を書いて1年ほどして、ビジネスとしての大相撲を忌憚なく語る本が出版されました。著者は、慶応大学で経済学を講じる方で、子供の頃からの角界通でもおいでです。
「大相撲の経済学」 中島隆信著 東洋経済新報社 2003年 1,600円

私が、相撲界の旧弊の象徴と捉えた「相撲茶屋による桝席独占」が、経済学的に見ると必ずしも間違っていないこと、大相撲の維持発展に一定の貢献をしてきたことが論考されており、さすがに本を書くだけのことはあるなと感心しました。「力士の公式収入は年功序列」「親方株の制度は、選ばれた力士の終身雇用制度」「八百長は、経済学で考えると合理的な行為」など、興味深い論点が目白押しです。1,600円では安いと思えるような好著ですね。

この本では触れられていないのですが、15年ほど前の「双羽黒廃業騒動」の折に、親方と弟子の金銭関係が週刊誌などに書かれ、親方の錬金術の様がほんの少し世間に知られたものです。この本を読むと、相撲部屋の収支構造が今ひとつ明らかでなく、親方(や力士)の収入は相撲協会からの給料のみのような書き方になっています。その辺も書いてくれるとより面白かったと思うのですが。