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ニコライ二世の実像 2001.01.08


ロシア帝国の最後の皇帝・ニコライ二世というと、日本人をマカーキ(猿)と蔑視し、不凍港欲しさに極東への強引な進出を図って日露戦争を引き起こした専制君主というイメージが流布していると思います。

さて、このイメージの元は何でしょうか?普通の日本人がニコライ二世についての情報を得る本と言ったら...司馬遼太郎の「坂の上の雲」でしょう。この本は、私も深い感銘を受けた名作ですし、現代の日本人に小国・明治日本の姿を伝えてくれる優れた著作だと思いますが、書中で重ねてニコライ二世を先述したようなイメージで描いています。特に疑問を持つ理由もないので、私も「ニコライ二世は、最後の皇帝にふさわしい傲慢で愚かな人物だったんだ」と認識していました。


一方、私はロシア革命の経過に興味がありましたので、例えば「ニコライ二世」(日本経済新聞社)、「ロマノフ家の最期」(中公文庫)などといった本を読んだのですが、それで分かったのは、ニコライ二世は非常に温厚、誠実な人物であったという事実でした。

* 連合国の一員として第一次大戦を戦っている最中、革命によって退位を余儀なくされた皇帝は、あくまで祖国の運命を憂い、勝戦を得るためには国民の団結が必要だと訴えていた。皇帝の軍隊に対する最後の挨拶にはこう書かれていた。

「最期にもう一度、私が心から愛した部隊の皆さんにお願いする。・・・ロシアが栄光と繁栄の道を進むように、私は神のお助けを祈り続けるだろう。・・・さあ、各自責務を果たされたい。我が勇敢な祖国を守られたい。臨時政府に服従し、司令官の命令に従われたい。」

皇帝が退位に同意したのは、そうしなければ対独戦争に勝てないと軍首脳に迫られたのが最大理由であった。

(「ニコライ二世」 342ページ)

* 退位後、十月革命でボリシェヴィキが政権を奪取すると、それまでは穏やかだったロマノフ一家への扱いはにわかに厳しくなり、一家はエカチェリンブルクに移送され、虐殺された。エカチェリンブルクで、ロマノフ一家を監視していた警護兵の一人は、後にこう語っている。

「私は、彼が親切で、単純素直で、気のおけない人柄だと思った。私に話し掛けようとしているように思える時もあった。本当に、私たち警護兵に話し掛けたがっているようだった」
「われわれ警護仲間で皇帝夫妻の人柄を論じ合ったことがあったが、ニコライは控えめな男だが、アレクサンドラは逆にツァーリツア(皇后)そのものだというのが衆目の一致する所だった。皇后は、皇帝とは似ても似つかない。意地悪な目つきで、高慢で、尊大な女の典型だ」
(「ロマノフ家の最期」 33ページ)

皇后は、ドイツのヘッセン大公家の出身で、イギリスで育った女性でしたので、それだけでロシア国民から反感を買っていたようですが、気難しい人だったようです。

他にもいろいろな挿話があり、ニコライ二世は流布しているイメージのような粗暴な人物であるとはどうしても思えず、当惑してしまいました。


また、日露戦争の前に皇太子だったニコライが日本を訪問した際に暴漢に斬りつけられて重傷を負い(大津事件)、その忌まわしい記憶も皇帝の対日敵意の元になっているという通説だったのですが、これについて吉村昭が「ニコライ遭難」という本を書いたので、さっそく買いました。

すると、これまた通説を裏切る記述が多くありました。例を挙げますと、

* ニコライ一行が長崎に立ち寄った際、ニコライはお忍びで長崎の町を歩き、市民に気さくに接したようです。警護を担当した県知事他は、大帝国の皇太子の気さくな様子に痛く感じ入ったとのこと。(小説仕立てですが、典拠はあるものと思います)

(「ニコライ遭難」ハードカバー版 73ページ)

* 大津事件の後、日本人はロシア帝国がいかなる無理難題を吹きかけてくるかと恐怖したが、日本側の意を受けて病床の皇太子に面会した日本大司教のニコライ師(神田のニコライ堂を作った人)に対し、ニコライは

「日本国民が誠意をもって温かく迎え入れてくれたことには、心から感謝している」
「暴漢に襲われはしたが、それで日本人の好意を忘れたわけではない。幸いにも私の傷は浅いので、一日も早く全快し、東京に赴きたい。大聖堂(ニコライ堂)も落成したと聞いているので、参拝するのを楽しみにしている」

という、冷静さを失わない友好的な発言をした。

(同上 142ページ)

日本人に襲撃されて生命の危機に見舞われた直後に、この発言が出来るということは、ニコライは尊敬に値する人物だと思えます。私だったらできるかどうか?なお、ニコライの遭難を聞いたロシア本国、特に母から「至急帰国しなさい」という指示があり、東京訪問は実現しませんでした。


「ニコライ遭難」は小説仕立ての本で、信頼できないという意見もあると思いますが、この事件に関してロシアが日本に難題(賠償金など)を迫ったという史実は存在しないはずですので、同書の記述は史実に沿っているものと判断します。如何せん、この辺に関する歴史家の著作というのは読んだことがないもので。


一方、「坂の上の雲」に描写されているニコライのマイナスイメージを裏付ける資料には出会ったことはありません。司馬遼太郎がどのような史料を元にしたのかは不明なのですが、ニコライ二世の人物像については、いい加減な本の記述をそのまま引き写したのではないか?という疑問を持つ次第です。

最後になりますが、「ニコライII世−帝政ロシア崩壊の真実」(ドミニク・リーベン著、小泉摩耶訳、日本経済新聞社、1993年」という本は、日本人の知識の空白を埋めてくれる良書と思いますので、機会がありましたらぜひご一読下さい。