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映画「ワルキューレ」を観て 2009.03.27


3月20日に公開された映画「ワルキューレ」を観てきました。
公式サイト
ウィキペディアの解説

この映画は、製作決定が伝えられた3年ほど前から完成と公開を待ち望んでいた作品です。
「1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件」、いわゆる「ワルキューレ計画」については私は以前から関心があり、関係書物を2冊読んでおりました。

「ヒトラー暗殺計画」 小林正文 著 (中公新書)
「ヒトラー暗殺計画と抵抗運動」 山下公子 著(講談社選書メチエ)
※「7月20日事件」については、前者の中公新書の方が圧倒的に詳細ですので、読まれるなら前者をお勧めいたします。

また、最近では下記のような本も出ているようです。
ドキュメントヒトラー暗殺計画 グイド・クノップ 著 高木玲 訳 原書房
ちょっと高いのですが、原書房は戦史関係の書物では定評のある出版社ですので、いずれ読んでみようと思っています。

私は、映画「ワルキューレ」の主人公であり、一身を投げ打ってこのクーデターの立案と実行をほぼ全て一人でやり、クーデター失敗の夜に「神聖なるドイツ万歳」と叫びながら銃殺されたと伝わる
伯爵クラウス・フォン・シュタウフェンベルク陸軍大佐
を深く尊敬しており、彼が映画でどのように描写されるのか?が第一の関心事でした。

映画ファンの目から見るといろいろ文句もあるかもしれませんが、私はトム・クルーズがシュタウフェンベルク大佐を実に良く演じていると思いました。
私の感想は概ね下記の批評に近いです。歴史が好きな方にでしたら自信をもってお勧めできます。


映画批評家 前田有一氏の評
http://movie.maeda-y.com/movie/01258.htm

『ワルキューレ』65点(100点満点中) 《トム・クルーズのおかげでわかりやすくなった》

ナチス関連の映画は、日本人にはわかりにくいと言われる。ドイツではハーケンクロイツを提示しただけでも違法とされ、今でもこの手の映画撮影は困難をきわめる。 本作の撮影隊、およびユダヤ人監督ブライアン・シンガーも、このジャンルの経験があるだけあり、ドイツロケでは慎重にコトを運んだが、それでも訴訟沙汰に巻き込まれた(撮影地を提供した地主が、鉤十字マークの提示の件で訴えられた)。

純粋な愛国心から、ヒトラーの暴走に反発していたシュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)は、軍内部のレジスタンス組織に深く関わるようになる。やがて彼は、他の仲間とともに総統暗殺計画「ワルキューレ作戦」の根回しに取り掛かる。 40回以上も刺客に狙われてきたヒトラーの警備は、このころすでに厳重をきわめ、軍関係者以外は近づくことさえ困難であった。だからこそ、意表をついた内部からの反乱計画は効果があった。『ワルキューレ』は、その有名な史実の映画化である。ナチの将校ながら、ヒトラー打倒に立ち上がった主人公シュタウフェンベルク大佐は、今でも英雄視されている。

ところでトム・クルーズという役者は太陽みたいなもので、登場するとその明るさでまわり全てをかすませてしまう。美人女優がいようが、演技派がいようが関係ない。どんな映画も「出演者:トム・クルーズとそれ以外」になってしまう。 ワルキューレ作戦も、大勢の優秀な軍幹部が関わった大作戦のはずだが、映画を見ているとなんだか彼一人でぜんぶやっちまったような印象である。アクション満点、スリル満点。この映画のタイトルが「MI:4」とかだったりしても、たぶん誰も気づかないであろう。 ブライアン・シンガー監督による重厚な画面構成や、当事を再現した大規模なセットなど、史実に忠実に伝えようとする意思は感じられる。が、そういう意味ではトムさん一人にぶち壊しにされている。

とはいえ、それは彼の責任ではなかろう。太陽に向かって「暑いから温度を下げろ」といっても、それは無理だ。 だいたい、本作での彼の演技はじつに良いのだ。頼もしく、正義感にあふれ、頼りがいがある英雄らしさを、この上なく表現している。おかげで暗殺計画が進行してゆくサスペンスも、結果をたとえ知っていたとしても十二分に味わえる。映画の製作意図の中に、この史実をドイツ人、ユダヤ人以外に広く知って欲しいというものがあるならば、彼の起用は大成功だったといえる。

この手の映画の中では突出したとっつきやすさと、お勉強をしたような気分になれる知的な雰囲気。その両方を兼ね備えている。満足感はそこそこ得られるはずだ。

<適宜改行を編集しました>


さて、映画と言うのは大抵は「叩かれる」運命にあるのですが、この映画は日本人には馴染みのない題材を扱っていることもあり、インターネット上では辛口の評が目立つようです。
「映画 ワルキューレ 感想」をキーワードにしてグーグル検索してみて下さい。

中には「ワルキューレ計画を企てるシュタウフェンベルクだってナチじゃないか。『ナチにも良い人がいた』というような言い分を感じるこの映画には感情移入できなかった」などという、「ナチ党」と「ドイツ国防軍」を完全に混同した評もあり、シュタウフェンベルク大佐のために義憤を感じました。また、私の想像する以上に「1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件」のことは日本人に知られていないようで、素人の映画ファンの感想を見ますと、ほとんどの評で「この事件のことはこの映画ではじめて知った」と書いてあり、前記の前田有一氏の評の
映画の製作意図の中に、この史実をドイツ人、ユダヤ人以外に広く知って欲しいというものがあるならば、彼の起用は大成功だったといえる
が実に染みて良く分かりました。


ただ、プロの映画批評家の批評で複数、下記のような趣旨の指摘がありました。
http://www.cinemaonline.jp/review/kou/6950.html

それなのにこの映画は、決定的に観客をシラけさせる言葉をクルーズに与えてしまう。「ヒトラーは死んだ!」とヒステリックに叫ぶセリフがそれだ。ここで見るものの体温は確実に5度は下がる。実録歴史映画に、いくら何でもこのセリフはない。全員が知っている失敗にトム一人が吠える図は、物悲しさを通り越してこっけいだ。

私は、シュタウフェンベルク大佐が、クーデターが失敗に終わる気配を濃くする時にこのような発言を実際にしたのかどうかは知りません。
ですが、私が彼の立場であれば、きっと同じように
「ヒトラーは死んでいる!ヒトラーが軽傷を負ったのみで生きていると言うヒトラー側の宣伝はデマだ!デマに惑わされるな!」
と最後まで言い続けたと思います。

何故かと言えば、ヒトラーが生きていようが生きていまいが、同志たちがクーデターから脱落せずに親衛隊やゲシュタポを拘束し、ヒトラーの呪縛から逃れることが出来れば結果としてクーデターが成功した(かもしれない)からです。シュタウフェンベルク大佐たちが命を賭して立ち上がったのは、「クーデターを成功させ、ヒトラーを排除すること」であり、「ヒトラーの生死」は直接は関係ないのです。もちろん、大佐が仕掛けた爆弾が計画通りにヒトラーの命を奪っていれば、クーデターの成功可能性が飛躍的に高まったのは事実であり、ヒトラーが死ななかったのは痛恨の極みではありますが。

ドイツ本土がまだ戦場になっていなかった1944年夏の時点で「ドイツの連合国への無条件降伏」で戦争が終わったとすれば、ドイツに突きつけられる降伏条件は過酷なものだったでしょうが、戦争の惨禍はずっと少なくて済みました。1944年7月から実際にドイツが降伏した1945年までに失われた人命と財産は計算不可能なほど多量のものであり、7月20日のクーデターが成功すればその損害は未然に防げたでしょう。

映画の中でも「ヒトラーが、(今のバルト三国の辺りでソ連軍の猛攻を受けている) 北方軍集団の撤退を許さないために、軍集団全体ががソ連軍の包囲に陥ろうとしている」「戦死者が既に30万名に上っている」と言った会話がありましたが、ソ連軍がドイツ軍をソ連領内からほぼ駆逐したパグラチオン作戦の戦況はそのくらいドイツに不利であり、ヒトラーの「本土決戦」によってドイツが蒙った損害は想像を絶するものです。

関ヶ原の合戦で敗北して処刑を目前にした石田三成が「干し柿は体に悪いので食べない」と言って「今から斬られる敗将が何を抜かす」と笑われ「私は最後まで諦めない」と答え、徳川家康などを感心させたと言うエピソードがあります。
私は、最後の瞬間までクーデターを成功させようと努力を尽くし「ヒトラーは死んだ!間違いない!」と言い続けるシュタウフェンベルク大佐の描写は、史実であるか否かに係わらずリアリティ溢れるものと思いました。