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渡辺玲子 プロフィール

Last Updated Aug 21, 2010


弦楽器専門誌
「ストリング」1998/7月号に、玲子さんのインタビューが載りました。その結果、彼女自身の言葉で詳しい経歴が分かりましたので、従来からの情報と合せてまとめました。彼女は、一見すると非常に穏やかな「昔ながらの大和撫子」という感じなのですが、音楽に対する姿勢の厳しさは大変なものがあるようです。オンタイム・オフタイムの対照の鮮やかさも、双方に共通していると言いますか。

その後、新情報が入るごとに追記しています。

なお、青字は彼女自身の言葉です。


***少女時代***

* 1966年7月16日、東京に生まれる。竹澤恭子が同い年です。同年輩のヴァイオリニストとしては、'65年生まれのフランク・ペーター・ツィンマーマンが挙げられる。

* ご両親は共に長野県・中信の安曇平のご出身だそうです。玲子さんの生真面目さは、信州人ならではのものもあるのでしょうね。

* 1歳半くらいの時に、羊羹の箱とお箸でヴァイオリンを弾く真似をし、「ヴァイオリン弾きたい!」と親にせがむ。親とヴァイオリンの先生のところへ行くが、「まだ早すぎるでしょう」と言われてとりあえず帰る(BS中継のインタビューによる)。

* 3歳半から6歳半まで、スズキメソード吉祥寺センターで松井宏中に師事する。なお、才能教育がヴァイオリンとの最初の出会いであったというソリストは多い。竹澤恭子が有名だが、海外の人でも例があったと思う。その後、30年を経た2002年9月に、同センターの無料コンサートに出演されています。

* 松井宏中の指導による進歩は急速で、週一回のレッスンでは足りず、特別にニ回のレッスンを受けた。

「とても待ち遠しく楽しかったことばかりで、6歳の時にはモーツァルトのコンチェルトまで弾けるようになりました」(松井氏逝去時の玲子さんの追悼文より)

松井氏は1998年に逝去したが、晩年に至るまで玲子さんとは密接な師弟関係を保っており、葬儀では玲子さんがバッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番からアダージョを追悼演奏している。

* 小学校2年から、桐朋学園の「子供のための音楽教室」に入り、鈴木共子に師事。

「私は7歳から13歳まで桐朋の『音教』に通っていましたが、その期間、ヴァイオリンの技術的な面はもとより、音楽的表現の基本を叩き込んで下さった鈴木共子先生が米寿を迎えられ、そのお祝いのコンサートが津田ホールで開かれます(2002年5月13日)。私を含め、鈴木先生に薫陶を受けたお弟子さん達が集まって演奏をしながらお祝いをする会です。先生の音楽に対する深い愛情とエネルギーを、たくさん分けて頂けることを心から楽しみにしています」(鈴木共子米寿記念コンサートに際して。恩師のことを決して忘れない、玲子さんの誠実な人柄が滲み出ている文章ですね)

* 中学生になった時に、芸大に行きたい(=プロになりたい!)と決意して田中千香士に師事。他に、海野義雄、堀正文、大谷康子に師事していたこともあった。


***ソリストへの道***

* 15歳の時に、'81年の日本音楽コンクールで最年少優勝記録を作り、同時に第一回増沢賞(全部門での最優秀者への賞)を受賞。決勝で選んだ曲はバルトークの協奏曲2番という渋いものであり、このコンクールの模様を見たさるヴァイオリン通の方は、「すごいおチビちゃんがいるものだ」と15年後も記憶に残していたそうである。

* 翌'82年、N響の「若い芽のコンサート」で同じくバルトーク2番を演奏する。これが、コンサートでの最初の演奏であろう。

* 同年に、念願かなって東京芸術大学付属音楽高校(正式名称は確かこれ)に入学するが、2年生に進級した頃に
「自分自身で勉強することがその時の私に一番必要だと自分で強く思ったものですから、芸高を辞めまして...」
とあっさり退学してしまう。あの温和な玲子さんがそこまでの決意を!と私もびっくりです。

* 大検の勉強を自分でやりながら、独学でヴァイオリンの研鑚を積む。なお、当時に関しては、

「午前中は、資格を取るために普通の勉強を朝7時から12時まで自分でカリキュラムを組んでやりました。全教科やらなくてはいけないものですから、家庭科までやりました。午後は夜の10時半か11時まで、食事の時間以外はずっとヴァイオリンをさらっていました。音階をやったり、テクニック的なものを練習したり、レパートリーを増やしたりしていました。今思うと、今だったらとてもできないと思うけど、あの頃は夢中でやっていましたね」

だそうです。世のお母さん方、ここまでできないとソリストにはなれないのですよ!
#私のような軟弱者には絶対できないと思いますね。彼女のような才能がないのは当然のことですけど。


***師、フックスとの出会い***

* 18歳の'84年に、ヴィオッティ国際コンクールで最高位を受賞する。彼女の海外での活躍の始まりと言える。なお、その頃に受けたロン・ティボー・コンクールにおいて、彼女が敬愛して止まない恩師、ジョセフ・フックスとの出会いがあった。(ヨーゼフ・フックスという表記を目にしますが、フックス氏はアメリカ人ですので「ジョセフ」が正しいです)

「ジュリアードのオーディションは('85年)5月で、その半年前に私がジュリアードで就いたフックス先生にヨーロッパでお会いする機会がありました。それは、コンクールを受けに行った時のことですが、その時に審査員としてフックス先生がいらっしゃって、私の演奏をとても評価してくださいまして、一番に推薦して下さっていたんです。」

* 彼女は、その際にフックスと15分ほど話をすることができ、
「あなたにはとても才能がある。いろいろ音楽的にやりたいことがたくさんあるのは良く分かる。それはとても素晴らしいことだから、後はそれを上手に整理整頓して、余分なやりすぎる所を取り払って行きさえすればきっといい音楽家になれるはずだ。私の所に来なさい」と言われた。

* フックスが、彼女の個性を理解した上で、「整えていくことが必要」と言ったことに深い共感を覚え、その場で「ジュリアードにオーディションを受けに行きます!」と返事し、オーディションの結果、全額奨学生として'85年9月にニューヨークのジュリアード音楽院に入学した。彼女の「日本の音大に行かずに直ちにジュリアードへ留学」という異色のキャリアには深い訳があったのですね。

*当時、 ジュリアードの顔として名を馳せていたドロシー・ディレイに比べると、フックスの日本での知名度は低いが、愛弟子の玲子さんによると、

「とても個性的な方でした。演奏家としても大変尊敬された方で、それこそ95歳くらいまでソロ活動をしていらっしゃいました。亡くなった時が97歳だったと思います。昨年('97年)の3月にお亡くなりになりましたけど、本当に最後まで弾いておいででした。フックス先生は、ジュリアードを卒業されてすぐに、クリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターを13年間なさっていました。その後一大決心をしてオーケストラを辞めて、ソロ活動をなさったんです」

ということである。彼女のフックスへの敬愛の念がふつふつと伝わって来ますね。また、読響のソロ・コンマスを務める藤原浜雄もフックス門下です。

* なお、'97年9月ころの週刊新潮「掲示板」に、

「フックス先生が戦後間もない頃にアメリカで出したレコードを探しているのですが、どうしても見つかりません。お持ちの方、ご連絡をお待ちしています」

という玲子さんによる掲示があった。ペガサスの会のサロン・コンサートで本人に聞いたところ、首尾よく見つかったそうである。

* ジュリアードでは、フックスの薫陶を受けたのは当然として、室内楽に関してラタイナー、ガリミア、ローズに師事した。玲子さんは宮崎室内音楽祭に何度も参加しているが、彼女が室内楽にも関心が高いことを示すのではないだろうか。なお、私はまだ彼女の室内楽には接したことがありません。

* ジュリアード入学の翌年の'86年には、パガニーニ国際コンクールで最高位を受賞する。


***現況***

* '92年にジュリアードを学位を得て卒業する前に、ネーベ・ヤルヴィ指揮フィルハーモニア管と共演してロンドン・デビュー。その後の5年あまりで、フランス国立放送フィル、ベルリン・ドイツ響、LAフィル、セントルイス響、ワシントン・ナショナル響、ボストン・ポップス、オスロ響、ハンブルク・フィル、ドレスデン・シュターツカペレ、フランス国立放送響、エーテボリ響、バンクーバー響、BBC響、N響などと共演。

* 共演した指揮者は、シノーポリ、アシュケナージ、スラットキン、ロベス=コボス、ヤノフスキ、アンドリュー・デイヴィス、秋山和慶など。

* 楽器は、'96年6月頃から2001年末まで、日本音楽財団より貸与されていた1709年製ストラディヴァリウス"Engleman"(エングルマン)を使用。それまでは、彼女自身の楽器のGiovanni Maria del Busseto(1680年製。Bussetoはクレモナの製作者で、1640-1681年の間に製作)を使用していた。彼女によると、「ストラドの方が音色の幅が広い」のが最大の違いだそうだ。

* 現在は、ニューヨークに在住している。

* 梶本音楽事務所でマネジメントを担当。

* 2001年一杯で、Englemanの貸与が終了した模様です。ファンにとっては残念な限りですが...その後は、Bussetoを使用して演奏活動をされているのでしょうか。なお、Englemanの来歴について、詳しい情報がありました。(2002年に追記)

アントニオ・ストラディヴァリが1709年に製作したヴァイオリンで、1996年5月に購入いたしました。この楽器は、海軍士官ヤング中佐家に約150年間大切に保管・所有された後、米国在住のエングルマン博士の手に渡りました。[この楽器はストラディヴァリの作品の中でも最高級に属するもので、その音色も群を抜いている。(1915年のフィリップ・ヒル氏書簡による。)] 音色とともに、楽器の保存状態も稀なほど良好です。前の所有者の名前から「エングルマン」と呼ばれています。(日本音楽財団HPより)

* その後、2003年5月頃から、同じく日本音楽財団から1700年製ストラディヴァリウス”Dragonneti”を貸与されている模様。

アントニオ・ストラディヴァリが1700年に製作したヴァイオリンで、黄金期・円熟期(1700-1728年)といわれる作品の中でも、特にこの楽器はネックが製作当時のオリジナルのままという貴重な楽器です。著名なコントラバス奏者Domenico Dragonetti(1763-1846)によって大切に所有されていたことから現在ドラゴネッティと呼ばれています。また、20世紀でもっとも立派なイタリア弦楽器コレクションを所有したと言われるRichard Bennett氏の手にもわたり、最近では著名演奏家、Frank Peter Zimmermanによって演奏されていました。2002年6月に購入しました。(日本音楽財団HPより)

* 2004年4月に開学した、国際教養大学(秋田県立)の特任助教授に就任。一般教養の「芸術論」を講じておられるようです。授業は全て英語で行われるとのこと。(2004年5月追記) 玲子さんの講義は、春学期のみとのことです。(2004年9月9日追記)

* 日本音楽財団のHPで、同財団の事業報告書が閲覧できます。2003年度事業報告書の15ページに、「ドラゴネッティは、渡辺玲子女史に2003年4月28日-10月1日まで短期貸与されていた」旨が書かれています。ただし、現在も演奏会ではドラゴネッティを使用しておられると伺っています。(2004年9月9日追記)

* 第35回 (2005年)エクソンモービル音楽賞の洋楽部門奨励賞を受賞。
贈賞理由
渡辺玲子さんは、10代で注目されて以来、着実に努力を重ね、その成果を見せてきた。彼女と一緒に演奏した人たちが、信頼できる共演者と評価するのも、優れた技術だけでなく、作品を十分に読み込んだ上での確実な演奏を認めてのことであろう。さらにこの二・三年、堅実ではあるが、やや冷たい印象を与えることのある演奏に、内から燃えるものを感じるようになった。5月にデプリースト指揮の東京都交響楽団と演奏したバーバーの協奏曲などその好例であろう。大成が楽しみなヴァイオリニストの、さらなる充実を期待する。(音楽賞洋楽部門 選考委員会)
とのことです。(2005年9月20日追記)

* 国際教養大学での公開授業の様子です。(学生さんのブログ) (2005年9月30日追記)

* 日本音楽財団のHP2004年度事業報告書の6ページによると、「ドラゴネッティは渡辺玲子女史に2004年6月28日から12月6日まで短期貸与されていた」とのことです。(2006年1月5日追記)


* 玲子さんのHPの記載などによりますと、2010年6月より、日本音楽財団からグァルネリ・デル・ジュス"Muntz"を貸与されているとのことです。(2010年8月21日追記)