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渡辺玲子 インタビュー
モーストリークラシック」(2004年12月号)より

Last Updated Feb 13, 2005


高い精神性に貫かれた演奏、しなやかな感性---。華々しい活躍の一方、大学の教壇にも立つなど、活動の場は広がるばかりだ。 10月にスタートさせた全3回のリサイタル・シリーズは、「ブラームスとその系譜」と題し、 新ウィーン楽派へと変遷していく時代の流れを織り込んで新境地をめざす。 ピアニストに全幅の信頼を置く江口玲を迎え、さらに奥深い世界へと足を踏み入れようとしている。


今年4月に開校した秋田国際教養大学の特任助教授として教える方の立場に立ちましたね。

秋田国際大学は、国際社会に貢献出来る若い人材を育てるという理念の大学で、講義は全て英語で行われています。教授陣も国際的で、私はベイシックエデュケイションという、日本の大学の教養課程に当たるところの、人文科学の講義を受け持っています。


実際に演奏もするんですか?

弾いたりもするんですけれども、中心は、いわゆる芸術論、音楽とは何か、演奏とはなにか、ということを教えることですね。しかし、その教えるという過程で、色々なことを学ぶことが出来て、改めて、教えるって凄いことだと思います。

例えば、私自身が弾くことだけを考えていた部分について、何か伝えようとするとしますよね。そうしようとすると、色々な本を読んだりして、まず自分自身の考えをまとめなければいけません。そして、学生にどこを、どう伝えようと考える。そういう過程から得るものがありますね。人に話す、教えるということで自分自身見つめ直すことになると言った方がいいかもしれません。

来年も7週間半、春に講義を受け持つことになると思いますが、これは積み重ねていくと、自分にとっても非常にいい経験になるのではと思って、とても楽しみです。


実際に教えるという立場に立ってみて、どうですか。

音楽家にはそういう人が多いようですが、私自身にも変な「最年少症候群」みたいな意識があるんです。そういう人は、小さい時から「最年少でコンクール取りました」、「最年少で賞を取りました」って言われてきたことで、いつまで経っても自分が人を指導する、人の上に立つという自覚を持たないんですね。

ある意味で、それはいいことなんだけれども、こういう形で本当に若い世代に教えることになってみると、そんな私でも、人の上に立つという自覚を持つようになるのもいいかな、と思います。次第にいい意味で若い人の考え方の面白いところもわかってくるし(笑)。


演奏家としては、この10月から「ブラームスとその系譜」という3回物のシリーズが始まりました。プログラムの構成がとても凝っていますね。

このシリーズについては、色々と考えました。まず基本にブラームスがあるわけですから、彼の作品の中でヴァイオリンのレパートリーの中心を占めている作品を取り上げないわけにはいきません。そこで「F.A.E.ソナタ」を含め、第1回目の10月には第一番のソナタ「雨の歌」をやり、11月に第2番、12 月に第3番が入るという形になっています。

ブラームスは、19世紀の特殊な時代、それは色々な音楽の傾向が混じり合った時代にいたという意味なんですが、そういう時代でしたから、彼に対する批判もあれば、賛同者もいるという中で作曲活動を続けていたと思うんです。そのあたりを考えて、今回のシリーズには、彼以外に、彼の影響を受けた人たち、彼を非常に高く評価していた他の作曲家を組み合わせてみました。

例えば、シューマンが入ったり、クララ・シューマンが入ったりしていますが、それよりも後の時代の人たちも入れてみたかったのです。レーガー、プーランク、それからブゾーニ。影響を受けた人たちといえば、バルトークにもそういう面がありますし、シェーンベルクの先生だったツェムリンスキーの作品も今回はプログラムに加えています。その意味では、ブラームスの前後の色々な時代がわかるプログラムにはなっているかと思います。

ブラームスは、過去の自分の中では中心になかった作曲家なのですが、最近とても彼の音楽に心を動かされます。ヴァイオリン作品はもちろんですが、色々なものを聴いて深い感動を覚えて、自分の中でだんだんブラームスを感じられるようになりました。


珍しい曲もありますね。

そうですね、マックス・レーガーのヴァイオリン・ソナタ第五番は、その代表かもしれません。ただ、初めの部分なんて、ブラームスの3番のソナタにそっくりなんですよ(笑)。

ブラームスは、入り込むという時点で躊躇するところがある作曲家だという感じがしますが、いつ頃から興味を持ってきたんですか。

ブラームスは、過去の自分の中では中心になかった作曲家なのですが、この2、3年とても彼の音楽に心を動かされます。ヴァイオリンの作品はもちろんですが、他のオーケストラ作品、ドイツ・レクイエム、歌曲、色々なものを聴いて深い感動を覚えて、自分の中で徐々にブラームスといったものを感じられるようになりました。


8月には、ミラノ・スカラ弦楽合奏団とヴィヴァルディの「四季」を演奏されましたね。

最近しばらく「四季」はやっていなかったんです。あの時は、「四季」とそれからヴィヴァルディのト短調のヴァイオリン協奏曲をやりました。みんなとても明るい人たちで、音楽に流れがあるというか・・・。イタリア人らしいと言えばそれまでなんですが、舞台の上ではあまりまとまっていなくて、音色も特色が強いわけではないのですが、コンサート本番になると独特の雰囲気があって。やっぱり血は争えないんだろうなぁと感じました。


イタリアと言えば、ヴィオッティ、パガニーニと、イタリアで行われている国際的なコンクールで最高位を取っていますね。

そうです。コンクールの直後はリクエストが相次いで、パガニーニをしょっちゅう弾いていた時期もありました(笑)。ただ最近、それほどパガニーニは弾きません。と言うか、パガニーニからちょっと遠のいていた時期もありました。

なんというか、自分の感情の持ち方に合わなくなった時期があるんです。もっとシリアスに、深く入っていくような曲をやりたいなと思うようになっていた時期はダメでしたね。もちろん、パガニーニにも深い部分はあるんですが、それが持続していない部分がたくさんあるんです。


音楽家として活動していく上で、一番難しいと思うことは何ですか?

新鮮さを保つことでしょうか。それは曲に対する新鮮さでもあれば、音楽に対する新鮮さでもあるし、コンサート活動をするという自分の気持ちの新鮮さでもあるし、いろいろなことを含むと思います。

同じものの繰り返しになってしまったり、いわゆるルーティンで回していくようなことになってしまうと、時は早く過ぎていく割に自分の中での充実感がなかったりというような状況に陥ることもありますから。

だから、ある程度、自分で一つ一つの演奏に心を込められるだけの時間と労力を使える状態にコンサートをもっていって、コントロールしていくように努めていかないといけないと思っています。年を取れば取るほど、そういうことは難しくなるのかなと思いますけれども。

そういう意味でも、大学での講義は、私にとっても、とてもいいリフレッシュになります。周りの先生も全く分野の方たちですが、そういう方たちと日常、会話をすることで、自分が学べることもあるし、全然違う考え方に触れることもできる。それがとてもいいですね。