部落解放同盟最大のタブー「浪速闘争」
         利権問題取材中に飛び出してきた当事者たちの名前
新島 洋
 一清掃業者にタダ同然で土地貸与

 大阪市浪速区恵美須西3丁目、JR大阪環状線「新今宮駅」のすぐ北側に大阪市が所有する2805平米(約850坪)の広大な土地がある。
 教育委員会が管理しているが、その大部分は大阪府警が借用し、中央区大手前に建設中の新庁舎が2009年度に完成するまでの仮設庁舎用地として利用している。
 この土地の西側の一部438・9平米は1989年から民間の清掃会社、G衛生に貸し出され駐車場になっている。パッカー車やゴミ収集車、約20台が入る広さだ。大阪市環境局にG衛生との契約書を閲覧したいと申し込むと、「公文書なので情報公開請求をしてくれ」と言われた。2週間後に公開された「大阪市行政財産使用許可書」および「市有財産賃貸借契約書」によると、2006年度の貸付料は年209万8819円だ。
 この料金について周辺の同業者は「破格に安い」と言う。1台あたり月額8700円になる計算だが、周辺駐車場の相場は3万円(2d車)〜3万5000円(4d車)で、それでも「この近辺で20台分まとめておける場所を見つけるのはほぼ不可能で、どの業者も2台、3台と分散して駐車場を借りている」(同業者)というのが現実だ。悪臭や汚汁、粉塵などのためゴミ収集車は嫌われるからだ。
 さらに契約書の第五条には「保証金は免除する」ともあり、同業者は「何をかいわんやだ」と呆れる。
 この「破格の」貸付料、貸し付け開始直後の1989年当時はわずか年59万9953円でしかなかった。当時、借用していた土地の広さは288・6平米、だが3年後の92年には現在の438・9平米に広がり、貸付料は64万9771円になった。
 注意してほしいが、このとき1平米あたりの貸付料は2078円から1480円に25%以上も下がったのだ。値下げである。
 貸付地が広くなったのは、環境局(当時は環境事業局)が危険物の置き場として使っていた隣接地を「使わなくなったため、新たに貸すことにした」からだという。当然、広くなった分、貸付料は上がるわけだが、なんと大阪市は3年間の「激変緩和措置」を適用した。このため翌年度の平米あたり単価が下がったのだ。急に賃料が上がると借り主が困るので、3年かけて徐々に上げるというのだが、駐車場が広くなって負担に困るなら借りなければよいではないか。借りたい業者は他にごまんといる。しかも年25万円の差額が「激変」なのか。全く理屈の通らない話だ。
 十数台のゴミ収集車が駐車できる土地を年わずか60万円足らずで貸すことで、市はG衛生に多大な利益供与をしてきたが、さらに広い土地を貸し与え利益供与の上乗せをしたうえに、賃料をまけてやったわけだ。3年を経て貸付料は74万9407円になり、その後03年までの10年間、変化はなかった。
 そして2004年度に142万4114円に値上げされ、翌05年度に現在の価格となった。「同和系」など一部事業者への大阪市の利益供与や便宜供与が社会問題化したことを受けて、慌てて値上げし格好をつけたわけだが、それでも「破格に安い」と言われるのだから、それ以前の賃料は「タダ同然」と言われていたのもうなずける話だ。
 市有地の使用料や貸付料の額は、大阪市の契約管財局か不動産評価審議会のいずれかが市の財産条例をもとに算定する。
 算定方法は、相続路線化×1000分の5×0・5×効用発現率=月額貸付料(または使用料)である。効用発現率とは、この土地のように商業地で容積率が400%の場合、敷地に対して床面積が400%の建物を建てれば「一」ということになる。G衛生は一階部分(建物を建てず土地のみ)の利用なので単純計算では0・25だが、一階部分の利便性を加味して効用発現率は約0・3となる。
 こうして契約管財局が算定した06年度の貸付料は年約420万円だった。これを環境局がG衛生の「事業の公共性に鑑み」半額に減額し、210万円ほどになったというわけだ。「タダ同然」だった03年まではさらに特別なはからいにより、正規料金の1割〜2割の「障害者作業所並料金」としていた。
行政財産から普通財産へ この土地の行く末は…
 ところで1992年度から変わったのは、貸付料だけではない。公有財産としての土地の種別も「行政財産」から「普通財産」へと変わった。
 地方自治法によれば、公有財産は目的により行政財産と普通財産に分類される。行政財産とは公用もしくは公共用に供される財産をいい、普通財産はそれ以外のものをいう。
 行政財産を民間に使用させる場合には厳しい制限が設けられている。原則として行政財産は、貸し付け、交換、売却、譲与、信託あるいは私権の設定等はできない。ただし用途や目的を妨げない範囲で使用を許可することができる。
 これは私法上の貸借関係ではなく行政上の許可処分であり、許可条件に違反すれば取り消すこともできる。情報公開請求で出てきた文書が「行政財産使用許可書」と「市有財産賃貸借契約書」の2種類だったのはこのためだ。すなわち、この土地は91年度まで行政財産であり、92年度から普通財産に変更されたのだ。
 大阪市の手引き書によると、普通財産とは、@間接的に公共目的に供するもの(老人憩いの家や地域集会所用の土地など)、A現在は利用目的が確定していない財産、B過小地――などで、貸し付け、交換、売却、譲渡、私権の設定等が可能であり、その「管理、運用、処分については、私法の適用される範囲が極めて広い」ものとされる。
 これは、この土地の将来に深く関わってくる重要な事柄だ。
 この土地を所有する教育委員会によると、現在、大阪市は、未利用地の有効活用を進めるため「大阪市資産流動化プロジェクト・用地チーム」を立ち上げ、「未利用地を全て洗い出し活用を検討」している最中だ。
 「数ヵ月で検討結果が出て、それをもとに売却なり事業なりの市の方針が確定することになる」(市教委)というが、財政が逼迫していることや三セク等の事業がことごとく失敗してきた経過から、ここを利用した公共事業は考えにくい。となると残るのは「売却」だ。
 売却となると「私法の適用される」可能性が「極めて広い」ことになってくる。
 私法とは、民法、商法、借地借家法など個人の権利義務を規定する法律のこと。この土地の契約書の第18条には、「公用又は公共の用に供するためこの財産を必要とするとき」市は契約を解除できるとあるが、そうでない場合、すなわち市がこの土地を使って公共事業を実施しない場合、借り主(G衛生)は当然、私法上の権利を主張することになるだろう。
 破格の値段で20年近く借り続け、ゆくゆくはG衛生の所有物になる――それがこの土地の行く末なのだろうか。

 「緊急避難」で20年周辺業者は遠方へ

 大阪市環境局にこの土地の貸し付け理由と経緯について問い質すと、文書で以下のような回答があった。

 一、廃棄物処理事業は、市民の生活環境を保全するうえで必要不可欠の公共性の高い事業であるが、本市の一般廃棄物収集運搬業者は、本市から排出される一般廃棄物の約六割を収集し、本市の廃棄物処理事業の重要な一翼を担っていることから、その健全な指導育成を図っていく必要があること。
 二、一般的に、廃棄物収集車両については、夜間早朝の車両の出し入れや悪臭といった点から、駐車場の確保が困難であること。
 三、当該業者はミナミを中心とする繁華街の廃棄物を重点的に収集しているが、当時使用していた駐車場の明け渡しを余儀なくされる状況があり、適地を確保できるまでの間、当該業者の事務所に隣接する本市所有地の一時使用を願い出てきた。本市としても、当該土地が未使用であったことから、緊急避難的な措置として駐車場用地として貸し付けを行ったものである。
 四、この貸し付けについては、あくまで当該業者が駐車場を確保するまでの一時的なものであり、そのため貸付期間は一年間ごととし、かつ、本市から立ち退きを命じられたときには異議なく立ち退くことを貸し付け条件としている。
 五、当該業者は、引き続き駐車場確保に向け取り組んでいるが、現在のところ確保するに至っていない。

 「一」「二」「三」については、G衛生だけに該当することではない。「一般廃棄物の約6割を収集し、廃棄物処理事業の重要な一翼を担っている」業者のほとんどが駐車場問題に悩まされ続けてきたのは冒頭に述べたとおり。
 例えば大阪ドームの近くに業者が共同で借りている駐車場があるが、そこには遠く東淀川区の業者も車を置きにきている。しかも台風などのたびに水浸しになり、「車を避難させるように」と言われ、大慌てで出しにくることもあるような、劣悪な条件下にある代物だ。
 「四」「五」についても、はなはだ疑問だ。「一時的」とあるが、すでに20年近くが経過しており、この一事をもってしても契約条件を大きく逸脱していると言わざるを得ない。「引き続き駐車場確保に向け取り組んでいる」というが、市はどのように業者の「取り組み」を確認しているのか。また「立ち退きを命じられたときには異議なく立ち退くことを貸し付け条件としている」とあるが、契約書にはそのような文言はない。
 貸し付けの経緯について、当事者のG衛生にも話を聞いた。最古参の役員が以下のように説明してくれた。
 「戦後の焼け野原の時代からリヤカーを引き、大阪市の手の回らないゴミ回収業を続けてきた。その貢献を評価して土地を貸していただいている。市との交渉にあたっては最初、地元の藤岡信雄市議(当時)に橋渡しをお願いした。だが土地の所有者は教育委員会だというので、教育委員会にコネがあるのは(部落解放同盟)浪速支部だと聞き、浪速支部の岡山武史支部長(当時)にお願いした。うちは何ら法に触れるようなことはしていない。賃借料も大阪市の言うままに適正な賃料を払ってきた。誰からも非難されることはない」
 ところが、こうした発言に、周辺の同業者は激しく反発した。
 「そんな詭弁を使ってはいけない。もっと古い会社も、もっと貢献している会社もある。他の業者が市にお願いしても全く取り合ってもらえず、『南港へ行けよ』『生駒へ行けよ』という話にしかならない」と。
 この業者は、市のG衛生への特別扱いは岡山の力によるものだという。

 30年を経て再び聞く当事者たちの名前

 浪速支部や岡山の名前を聞くのはそのときが始めてではなかった。
 部落解放同盟飛鳥支部(大阪市東淀川区)に君臨し、市有地等を利用するなどして莫大な利益を私のものとした小西邦彦被告(現在、控訴審中)の事件を、ある解放同盟支部の元幹部が次のように評した。
 「飛鳥にヤクザが巣くうたと言うなら、浪速はどないやねん。小西は言い含められて切られた。あっちに目を向けさせておいて本家本元は置いとくいうこっちゃ」
 浪速支部が「本家本元」? 
 これを説明するには33年前のある事件まで遡らなければならない。関係者の間で「浪速闘争」と呼ばれ、いまも部落解放同盟大阪府連最大のタブーとなっている出来事だ。
 浪速支部は当時も今も大阪府連で最大の支部だ。この支部の指導権をめぐって1974年秋から年末にかけて激しい権力闘争が起きた。
 当時、浪速支部の実権を握っていたのは長谷川初己書記長(当時、故人)ら中研(部落解放中国研究会)派と呼ばれるグループで、中研派は他に、大阪府連矢田支部、同浅香支部の一部、京都府連の一部などを拠点にしていた。
 一方、大阪府連執行部は日本共産党親ソ派の流れを汲む『日本の声』派が多数を占めていた。以下は、当時を知る中研派の元活動家の証言と、中研派の機関誌『紅風』(78年6月号〜8月号)に掲載された長谷川へのインタビューからまとめたものである。
 長谷川は、元は山口組系宇田組の若衆頭(ナンバー2)だったが、中研派の幹部に説得され部落解放運動に目覚めた。もともと暴力団組員であっただけに、利権目当ての暴力団の同和事業への介入や、支部が同和事業の業者選定に関与することを厳しく否定していた。
 このころ浪速地区では五大再開発事業が始まっていた。この一つに地元の建築業者が参入を希望し支部の推薦状を求めたが、すでに入札も済んで着工しており、地元業者は資本金不足で入札参加資格もないこともあり、支部はこれを拒否した。
 だがこれを機に地元業者らは「浪速支部・清潔にする会」を結成、「長谷川らは同和予算を食い物にしている」などのキャンペーンを行うとともに、支部幹部らを脅迫し始めた。地元業者の親族には暴力団幹部がいた。
 長谷川は身を隠したが、支部の組織部長をしていた実弟は拉致され、足にキリを刺され兵庫県の山奥に放置されたという。
 その後、11月下旬になり、支部と「清潔にする会」で話し合いがもたれることになり、長谷川も出席したが、席上、「清潔にする会」のメンバーの一人が風呂敷包みから拳銃を取り出し、長谷川に突きつけ「詫び状」を書かせた。この後、長谷川は再び身を隠したが、支部の青年部と行動部(青年部の卒業者)は、友好他支部の応援も得て支部事務所にピケをはり防衛体制を敷いた。
 「清潔にする会」と支部ピケ隊が初めて本格的に衝突したのは12月17日。清潔にする会の約10名が木刀やゴルフクラブを持って支部に突入を図ったがピケ隊はこれを追い返した。全面衝突となったのは12月24日。午後9時半に清潔にする会20〜30名がブルドーザーを先頭に支部裏門を突破、10時半ごろまで乱闘が続いたが、ピケ隊の一人がブルドーザーに飛び乗り運転者を引きずり出して押し返したことで、終結。双方に多数の負傷者が出たが、駆けつけた機動隊は遠巻きに見守るだけだったという。
 だが、この前日、大阪府連は支部の頭越しに「清潔にする会」と確約書を結び事態の収拾を図っていた。12月23日付の確約書にはこう記されている。
 「今般の浪速地区内における紛糾問題につき、事態収拾のため、長谷川初己支部書記長に対し、府連として政治的責任をとらせます」
 署名人は立会人2名、大阪府連から大賀正行書記長(当時)以下3名、「清潔にする会」3名であった。そしてこの3名のなかに、この後すぐ浪速支部長となる岡山の名前があるのだ。
 府連は25日になって、長谷川らに文書を見せ署名・捺印を迫った。長谷川は背後に府連をも動かす大きな力を感じ、抵抗をあきらめ署名したという。浪速闘争はこうしてあっけなく収束、支部執行部は総入れ替えとなった。
 証言してくれた元活動家は最後に「浪速闘争以降、ヤクザの同和事業への介入が進んだ」と語った。別の活動家は「同和が悪いんやない。同和に巣くうたヤクザが悪いんや」と吐き捨てるように言った。
 『紅風』に掲載されたインタビューで長谷川はこう語っている。
 「地区内の『同対』関係の建設事業に、地区内の企業が参加できないのはおかしい、という意見はもっともな意見のようにみえます。けれども、もしこの意見を運動体が認めたら、利害がらみの混乱が起こるのは、今までの経験が証明している。だから運動体は工事請負の問題についてはいっさいタッチしない、……利害がらみの分捕り合戦に運動体が巻き込まれたりしたら、部落大衆の利益、部落大衆の願いなど、ふっ飛んでしまいます」
 浪速闘争の敗北により、部落解放運動の最も大切な部分が「ふっ飛んで」しまい、ヤクザが大手を振って事業に巣くうようになった。飛鳥支部問題の本質も、ここまで遡らなければ見えてこないのではなかろうか。

 飛鳥・小西事件の淵源に無関心装う府連

 事実関係をより正確に知りたいと、もう一方の当事者である岡山(現・大阪市人権協会副理事長)に取材を申し込んだが、浪速人権協会の職員を通じ「関係者はすべて亡くなった。私は何も知らない」とのコメントを伝えられただけだった。
 当時「ヤクザとの手打ちをした」と評された大賀(現・部落解放・人権研究所名誉理事)にも電話で取材を申し込んだが、電話口に出た本人から「私は当事者ではないので知らない」と断られた。
 他にも何人かから証言を断られた。恐る恐る証言してくれた活動家は、私に「書くときは十分気をつけて」と注意してくれた。浪速闘争は今もなお大阪府連最大のタブーであり続けている。
 部落開放同盟大阪府連合会に北口末広書記長を訪ね、浪速闘争について意見を求めてみたが、面倒くさそうに「関心がない」と答えるだけだった。「ヤクザとの関係や利権体質を歴史を遡って総括すべきでは?」と食い下がったが、「問題が出てきたら個々に対処するだけ」とにべもない。そこには利権体質を根本から変えようとか膿を出しきろうといった意欲はおろか、問題の根を探り当てようという姿勢さえ感じられなかった。
 ある支部の活動家が「府連は『(暴力団との癒着は)全体の一部』と言い、目をつぶろうとしているが、実際は怖くて見られないだけ」と批判していたことを思い出した。
 別れの挨拶をして帰りかけたとき、北口に背後から呼び止められた。何事かと思い振り返ると、「名詞を返してくれ」と言う。「悪用されると困るから」というのだ。取材の趣旨を伝え互いに名刺を交わしあったうえで話したのだが、北口は私を「名刺を悪用しかねない人物」と見たわけだ。
 これこそ「予断と偏見」ではないのか。「人の足を踏んでいる者には踏まれている者の痛みはわからない」という解放運動でよく語られた言葉を実感した瞬間だった。
 部落差別はいまもなくならない。それは同和を騙る者たちや同盟員自身による数々の不祥事をも養分として生き長らえ続けているのかもしれない。最も悔しい思いをしているのは、差別をなくすために地道に活動してきた名もない活動家や差別に苦しんできた一般の同盟員だろう。
 部落解放同盟は次々と起きてくる問題に「個々に対処するだけ」というお役所的対応でよいと本当に思っているのだろうか。暗澹たる気持ちにならざるを得ない。(一部敬称略)

※本文は『紙の爆弾』07年7月号掲載の文章に修正加筆したものである