| こぼし54P | |||||||||||||||||
| 塩見鮮一郎の | ||||||||||||||||||
| 2011・5・22〜2011・1・1 | ||||||||||||||||||
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◎半年後 2012・1・1 およそ半年(はんとし)ばかりの日月がすぎた。 すこしばかりの感慨もある。 わたしのかかった医師は痔疾ばかりではなく、内臓の外科手術も担 当した。退院して一カ月後に訪れたとき、触診したあと、「大腸検査 をしましたか」と問いかけてきた。もうなにがいいたいのかがわか る。「いいえ」とこたえながら、最初のときには、良性のポリープだ と診断したではないかという反発があった。 まだ術後の出血があったので、それが指についた。医師も不安にな ったのだろう。見落として手おくれになると寝覚めもわるい。用心に こしたことはない。とはいえ、こちらも過敏にならざるをえない。わ たしの知人の母は、おなじ医者から、半年もてばいいといわれて、三 カ月後に死亡していた。別の人で、『死の周辺』に書いたように、大 腸がんで苦しみぬくすがたを間近で見てきた。 いよいよ、わたしの番かもしれない。 八月の終わりに、便の検査をしてもらった。ヘモグロビンを調べる だけの簡易なもので、「便潜血検査」という。二日分の便を提出した が、一回目は+、二回目は−だった。なんという、意地悪い結果だ。 精密検査に行くべきかどうか迷うではないか。行けばいいのだが、大 腸のなかを引っかきまわされるのも癪だ。これまで、医師との戦いは なんども経験していた。とくに、子が川崎病で死の領域に迷いこんだ ときは、きつかった。判断をまちがえると、取りかえしがつかない結 果になる。それでも、心臓のカテーテルをやりたいという主治医の要 求を拒絶したり、脊髄の注射もできない病院からむりやり家につれて 帰ったりもした。こんどは、自分のことだから、それほど深刻になら なくてもいいのだが、あと余命三カ月なら、『探偵イザベラ』を完成 することはできない。それだと、なんのために手術の苦痛に耐えたの かわからない。 自分の体は自分がだれよりもよく知っている。このセオリーにすが りつくよりほかないか。 注意ぶかく、変調のきざしを探った。医師の判断と、わたしの判断 がせめぎあう神経戦になった。幸か不幸か、いまの時点では、がんを しめす兆候はない。追いかけてくる魔物から、あるいは、雨あられと 飛んでくる鉄砲玉から、かろうじて逃げながら、究極の目的であった 仕事に食らいついた。どこで中断されるか、わからない。血便が出た ら即刻、手術で、もう書く時間はないのだ。 ともかく、がむしゃらに前へすすもう。 そして、予想よりもずっと早く、昨年末には、570枚ほどの初稿が できた。うまくいったのかどうか。作品の評価はわからないが、今回 は、読者の趣向にあわせるというよりは、自分が読みたい小説に仕上 げたかった。推理・怪異・復讐・でたらめ・バカ話・パクリに風刺。 そういうものが、堂々とつまっている作品だ。市民的な正義など、ど うでもいい。人生の最期だ。すこしぐらい、わがままになろう。 ま、いい気なもんですけれど、精進して書いていると完成した。こ ういうとき、むかしの人は神に感謝したのだろうが、わたしはどうす ればいいのだろう。「ははは」と笑うにしても、だれにむけて、なぜ 笑わねばならないのだろうか。 ◎ポスト病院 2011・7・10 どういう理由でそのようなことをいうのか。 肛門科の医師は治療が簡単なことを、さかんに宣伝する。入院して も、二、三日か、一週間ぐらいですむという。いぼ痔や切れ痔や痔瘻 (じろう)とか種類によってちがうし、個人差もある。だから、医師 がいうとおり、簡単にすむケースもあるのだろう。しかし、わたしの 場合は、ポリープを切り取るだけの手術であったけれど、事後がたい へんだった。一週間で自宅へもどってきたが、ガーゼのちいさな「お むつ」が取れるまで二カ月かかった。傷が自然治癒するまでには、70 日が必要だった。 それでもわたしは、この無謀の試みで、希望したとおり充分な痛み を体験したし、重篤な患者の孤独をまぢかに見ることができた。かな り強烈なスティグマ(聖痕)を味わい、自分の年齢を、いまさらのよ うに、よく認識できた。怠惰に流れた日々から、もう一度のチャレン ジをこころみる精神へと、ゆりもどされることはできた。賭けは成功 したかに、いまのところは思える。6月10日、まだ一時間ほどしか椅 子にすわりたくない気分のころから、懸案の小説『探偵イザベラ』 を書き出していた。 500枚ほどで仕上げるつもりだが、完成までの時間が保証されるの だろうか。書くというのは、頭からも汗を出すが、全身をつかう肉体 労働である。体のどこか一部でもけだるいと、書けない。書く気に ならないのではなくて、書けない。前途に不安をいだいていたとき、 イギリスのゴドウィンの奇書『ケイルブ・ウィリアムズ』に、つぎの ようにあった。まさに、わたしに聞かせるために、長編のそのページ にさしかかったという具合に。そこには、これから仕事を始めようと する者は、完成までの障碍について考えてはならない。金銭や健康の ことを心配しても仕方がない。ともかく、スタートするのだ。 二世紀の時空を超えて、イザベラの国からの応援の言葉であった。 ◎病院発見・U 2011・5・22 社会の最底辺という。路上生活者などのことを、そのように見てい る。身体の底辺はどこなのか。 差別は身体をメタファーにするケースが多いので、いくらか考えて きた。頭が一番なら、足がもっとも低い。帽子屋と靴屋か。腹は中世 以降、日本では最高点で、それだから切腹をもっとも慎重な儀式にし た。尻はどうか。ビリ穴(けつ)という。最底辺かもしれない。 看護師のほとんどが女性であったが、初めての人に仕事はと聞かれ て、「肛門科です」とこたえるのだろうか。心理的な抵抗がいまの社 会にはあるかも知れない。痔の話に口ごもるようなものだ。だが、身 体の入口と出口の双方に優劣はない。どちらも実に大事な器官だ。し かも、抜歯とか手術になれば困難がつきまとう。電車を走らせながら 駅を改築するとか、トンネルの修理をするようなものだ。いつも、な にかが傷口を通過している。 そのことを、わたしは甘く見ていた。一週間後の日曜に退院といわ れて、元気で歩いて帰れると思っていた。荻窪のルミネでピザパイを 食ってやろうと計画していたほどだ。それが、なんだい。必死に痛み と排泄の不便に絶えてきたのに、退院とは名ばかりで、帰宅後も患部 にガーゼをあてた日々を延々と送らねばならないとは。全治に一ヶ月 はかかるといまさらいわれて、おいおい冗談は止めてくれという感想 であった。 そして元の通りになるのか。身体を気にせずに小説世界に没入でき るときがくるのか。術後二十日のいま、まだ痛みが残る。 賭けは成功するのだろうか。 |
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