キャロライナーだろうがA.C.だろうがベックだろうがイシマルーの前には木端微塵なのだ。手紙には「13年前の音源なので、ロウファイです。」とあるが、そんな昔からこんなことやってたのか。音質は前作「ハーフロボット」同様ハイクオリティで、内容はドゥーム・クラフトワークでドゥーム・クリムゾンな感じ。アニミズム。-Fool's Mate #155 石井 孝浩-

ミニマルミュージック、ロック、テクノ、ノイズと縦横無尽に音楽の形式的な方法論を駆使しながらそこに浮かび上がるのは《都市》の情景である。インダストリアルな日常性、街の喧噪、きらめくネオン、深夜テレビをつけっ放しにしながらの微睡み、起きぬ けの午後にふと聞こえてくる自然の呼びかけ…後の彼の作品ではだんだんと影を薄めてゆくことになる直接的な都市的イマージュに満ちあふれている。ここに立ち表れているリアリティーには都市生活を経たものであれば誰でも足元をすくわれるような思いをするのではないだろうか?これは《都市》というものからいったん距離を取った者のみに許される特権なのであろうか?-D'artie

いわゆる「ざ・わーすと」シリーズの第一弾である衝撃的作品ながら、発表されたか否かも定かではなく、一部に伝説を残すのみであったが、94年になって突如CD化されようやく日の目を見ることとなった一枚。不条理と合理性、非日常と日常など相反する方向性を凝縮し、音として具象化させる手法は秀逸。絶望感と不可思議な高揚感が相克する"Try Try Try"は、国境を越え、中東在住の某商社員の乾ききった生活に潤いすらもたらしたと言われている。-狂犬-

 

またしても10年以上前のイシマルー、アーリーイヤーズ作。1曲目から放たれる国籍不明言語(曲名が「ホピの旅人」だからホピ族語?)によるフォーキー曲は、ダモ鈴木とベックが合体したかのよう。続いてエイフェックス・ツインやADSも真っ青になりそうなノイズ・アンビエントな電子音響が・・・。時代に早すぎたがゆえの"WORST"なのか?天才は忘れた頃にやってくる超傑作。-Fool's Mate #185 石井 孝浩-  

何語でもない言葉と性別や年齢すら推測不可能な<声>による歌、メロディとリズムが完全一体化された旋律、それらと絡まりつつ溶け込んだり飛び跳ねたりする電子音と生楽器音のほとんど境目のないサウンド。イシマルーの音楽に特長的なこうした土俗性とエレクトロニック要素の結びつきは、現在のテクノ・トライバリズムの傾向に見事に合致する。  ところが93年頃からほぼ年1作のペースでコンスタントにリリースされている作品群は(すべて自己レーベル<サクラレコーズ>より)、80年代前半期にすでに録音された音源ばかりだ。ローファイ・ポップ的なメロディ感を越えて滲み出るトライバル感覚の強度が凄い。この強度は一部のデジロックやデスメタの肉体的トライバリズムとは異なる精神の純度として、ありうべき21世紀の音楽を充分に伝えている。-Music Life 1998 5月号 石井 孝浩-

 

なんと32曲入りのこのCD、殆ど2分前後の短い曲ばかりだが、エレクトロニクスを多様した現代音楽寄りのアプローチはアメリカ西海岸のレジデンツやLAFMSを思いださせる。この1曲を1時間とかやっちゃうと“芸術”と呼ばれるシロモノになっちゃうのだが、それを思いとまらせる何かが働いているように思う。それを示す作者の姿勢は「ちくしょう、1000万あったらなあ。」、「オカマはちらいよ」等の曲タイトルに伺われ、市井の音楽家の意気込みを感じる。-Fool's Mate #105 石井 孝浩-

●ノンジャンル ・イシマルー『ざ わーすと おぶ 1986』 ・吉澤英篩『デカメロン』 ・マジカル・パワー・マコ『ハッピーアース』 ・アーリング・ウォルド『愛の音楽』 ・細野春臣『マーキュリックダンス』 ・アラン・パーソンズ・プロジェクト『怪奇と幻想の物語り』  意識が無重力と化したまま気がつくと自分の部屋にいた、なんて経験は安手のオカルト劇画だろうか。しかしほんとにきた。いま私は意識を取り戻したばかりだ。視界に渦巻がゆっくり薄れていく。目の前に大きなダンボール箱がある。コステスとイシマルーのステージで使っていたダンボールの一個が飛んでついてきたのではあるまいな。ん?この角の黄色いネバネバはなんだ?コステスのスペルマじゃあるまいな。  イシマルーのソロアルバムの中では、最初にリリースされた・『ざ わーすと おぶ 1986』が抜群の出来を誇っている。他の3枚はアドリブ的ガラクタノイズが主で、マルチパンクプレーヤーイシマルーの真骨頂はむしろそちらにあるのだろうが、『ざ わーすと おぶ 1986』はそうした爆発的拡散パフォーマーンスに周到なデザインのコーティングがかけられていて、環境音楽と呼ぶ推薦状が得られるかどうかわからないが少なくとも瞑想音楽と呼ぶにふさわしい。始めの方は確かに相当暴れているけれど、全33曲中20曲目以降はオリエントトランス黄土色系統の正統環境音楽、それでいてお定まりの熱帯系アンビエントを幾重にも裏返ししたパラノ恍惚音波が惜しみなく何種類も詰め込まれている。-ふらんす 1995 JUIN 三浦 俊彦-  

で、またまた出てきた不思議すぎるアルバムが、YXIMALLOO…イシマルーの『ざ わーすと おぶ 1986』。コンピューターをかぎりなくギミックにいたぶって、超集積回路たちの官能的な喘ぎをオブジェ化している。秋葉原的サイバー・パンクとアメ横的ハイパー・サイケデリックを足して2で割った、御徒町的道路陥没ミュージックである。  すでに石丸電気を超越し、トモカ電機に二木の菓子をイルミネートしたイシマルーは、よくいえば日本のブレイン・レイニンガー、悪くいっても日本のブライアン・イーノだ。-CDジャーナル 1990 JUN-

 

トライバル(=部族的)なアプローチは根源的な暴力性と始源的快楽や笑いの双方を兼ねるが、ラウド系の音に取り込まれるとどうしても後者の面 が引き気味になる。その意味で、ひさしぶりのイシマルーの今作は、14年前の音源ということ自体にまず驚かされるがザクザクとした感触なのに始終ヘラヘラしっぱなしのようなトライバルポップ。当時、いったいどんなライブだったのだろう。-Fool's Mate #182-

インタヴュー中にも言及された1981年録音の衝撃作。ポップグループ?ドン・チェリー?いやYximallooだ!一時間あまり続くすさまじいグルーヴに、ただただ身を任せよう。15年の歳月を経た今でも聴くものの心を揺さぶるパワーに満ちあふれている。ポップグループとほぼ同時期にこの日本でもこれだけのサウンドを創り出せる者がいたということだけでも、我々の頭の中にある音楽史の書き換えを迫られてしまいそうなショッキングな一枚ではないだろうか?-D'artie Yossey-

 

いきなり宇宙人の声に、どこかの原住民が見知らぬ 楽器を初めて手にしたまま祝い事や会話を始めた、というウルトラローファイな取り方もあるが、人間のもっともプリミティヴな生の部分-その誕生の第一声から感覚器官の素のままの世界受信録とすると、ポップな輪郭が浮かび上がる。とても10年以上も前の音源とは思えぬ 密やかな4th作。-Fool's Mate #158-

アルバムの最後のほうに収録されているローリング・ストーンズの"Honky Tonk Woman"のカヴァーにみられるフォーク的アプローチの背後に透けるのはアメリカ的寂寥に対する郷愁。YOLATENGOのメンバーたちの熱いリスペクトを受けているという石丸氏の一見意外ともいえる一面 もこの曲を聞けば納得。このアルバムを流れる過密ともいえる空気を一瞬のうちにチルアウトさせ、はかなく立ち消えてゆくこの楽曲は次回作"Half Alien "にもつながるような美しいアコースティックチューン。-D'artie Yossey-

http://audiogalaxy.com/articles?&a=271&

http://www.imomus.com/thought061000.html

http://www.gajoob.com/reviews/y/1356.html

 

84年の作から。いつも思うが、この人は本当に早すぎた。テクノとエスノと宇宙言語…こう書くと、妙に納得されそうだが、絶妙でいて分類不能な音階のアンサンブル、うわついた色モノとは正反対の、何か確かなものに根づいた感覚。周囲から全く独立して、とにかく何か別 の思考や感覚体系に依拠しているとしか思えないトライバリズムだ。こういう人は他に、サン・ラがいた。-Fool's Mate #196 石井 孝浩-

 

あぴゃ〜。ぷう。はんへひもみひいんはろう。うひゃぴゃひゃひゃひゃぴゃ。ぽれはひゃひょぴぃや〜ぽひひまぷ〜ぽぱおにひょるぴぇんぴぷほぴんぽうぱふぅ。ぱあ。はれ?もろにもろらなぷちゃ。ほろ。ひや〜USあんだあふらうんとの怪じんジャド・フィアーとイシマルーのNAOによる75きょおく入り。あらまゆるむ。かんぺき。-Fool's Mate #136 石井 孝浩-

パステルズとの共演やドン・フレミング絡みで、若いファン層をも広げた感もある個性派ジャド・フェアーと日本のジャドとも呼ばれているイシマルーこと石丸尚文との共演作。最近のここ何作かは、ハーフ・ジャパニーズ名義ものも含めて、比較的ロック色とストレートな志向を示すものが多かった彼だが、今作では元来のくせやひねりを全面 的に強調したものに挑戦している。断片の集積のような異化迷宮全75曲を耳にすると、僕など約10年前のレジデンツの「Commercial Albim」等を思い出し、このおもちゃ箱をひっくり返したような遊び心に大いに親近感を覚えた。石丸君の個性も開花して凄いぞ。-cross beat #57 石川 真一-

ジャド・フェアーとのコラボレイト第一弾。シミーディスクのクラック・ハウスのサウンドを念頭において製作されたこの作品は、アナログの技術を縦横無尽に駆使した過激な意欲作だ。ノイズの間隙をついて表れる日本の童謡からの引用は、カレント93がストロベリー・スイッチブレードのローズのヴォーカルをフィーチャーしてイギリス民謡の要素を取り入れたような試みを想起させる。ジャド・フェアーをして90年代のキャンプファイアー・ソングブックといわせしめた本作は頭でっかちになったエクスペリメンタル・ミュージックを“音を楽しむ”という原点へ聴く者を立ち返らせるような不思議な魅力に満ちあふれている。この流れは確実に進化し、次作で美しい旋律を我が物にすることによって見事に実を結んだように思えてならない。-D'artie Yossey-


米国変態音楽の重鎮、ハーフ・ジャパニーズのJADと、日本の天才&鬼才NAOのタッグによる新作。タイトル通 り、まさに“半分宇宙人”なストレンジテイストだが、NAOことイシマルーの単独作に比べると、いくぶんまったりとしている。おそらくこの差は紙一重なものだろうが、隣接する現界と異次元界の壁がひどく薄いけれど突き破れないように、この差は実に大きいと思う。-Fool's Mate #192-

これはある意味でこれまでのYximallooのイメージを塗り替えてしまうような一枚であることは確かである。ベックを意識して作られたというサウンドから、あの"Oddeley"にみられるようなベックのクラブサウンドにたいする独特のバランス感覚をイメージしてしまうのは短絡的というもの。そういった、目先のフィルターを越えたところにジャドと石丸氏がイメージするベックの思っても見なかった面 を痛切に感じさせてくれるのだ。前作同様この日本とアメリカのユニークなクリエイターたちの紡ぎ出す音は核の部分では変わらぬ 世界をもち続けているものの、特筆すべきはそれを表現するときに付帯されたメロディーの美しさだろう。前作に比べハワイアン調の楽曲を挿入したり、彼独特のフォーク的アプローチを前面 に押し出している点などをみてもリスナーとの更なるコミュニケーションを目指す貪欲な意志を感じさせる。一日でも早くリリースされることを望む。これは一人でも多くの人に聴いてもらいたい作品なのだ。-yossey-

 

Yximallooが来日したフランスの異才コステスと吹き込んだ作品。コステスの音楽にみられる毒をもった幼児性というものが、Yximallooのナチュラルなピュアさによってよい形で昇華されている。コステスの毒に巻き込まれて、悪ノリする普段とは違った石丸氏の姿も楽しい。全体的にディーボやクラフトワークの頃のテクノ的アプローチが全体の基調になっているが、ラストの表題曲にみられる怒濤のシャンソン・フランセーズはカトリーヌが聴いたら3秒で毒死してしまうだろうようなジャン・ルイ・コステス・フレンチ・エクスプロージョン!!!この一曲で360度回転してしまった彼独特の悲劇的世界が充全に体験できること請け合いである。-Yossey-  

イシマルーは天才といえどもライブは久しぶりだし、コステスも天才ではあるがまだまだ日本での知名度は低いといわざるをえないから、会場に入って客がそこそこ入っているのを見た時には安堵を感じた。それにしても、たとえばキャロライナーの時と比べても、何となく客層がおとなしめに思えたのは気のせいだろうか。基本的にみんな最後まで椅子に座ったままで静かに鑑賞していた。  
イシマルーの演奏は、意外にも4名のミュージシャンを従えたバンド編成。フリーキーでパワフルなサウンドをバックに石丸さんがステージ狭しと跳ね回りながらシャウト&スクリーミングする。ギミックは一切なし。曲間もなし。予想以上に混沌とした数十分だった。こういうのを見せられると、あらためて石丸という人の懐の広さを感じざるを得ない。
で、コステス登場。やはり美男だ。ビデオを見ると常に全裸だが、ここは日本ということでブリーフ一枚着けてました。結局チンポを見せてくれなかったのは残念。パフォーマーは他に石丸さんと謎の日本人女性。何をやったかというと、テープから流れる音にあわせて歌ったり叫んだりしながら、3人で寸劇混じりに暴れ回るだけ。ステージ上にうず高く積み上げられたダンボール箱を打ち壊したり、ワインを呑んだりこぼしたり、目茶苦茶やってるだけのようで、実は綿密に構成-演出されたものだったと思う。テープとはいえサウンドは相変わらず非常に凝っていて、ジャド・フェアのソロと並ぶ変態宅録の鑑。最近お得意の日本語も全開で「アナタオカマデスカ?」とか言ってました。途中、観客にコステスの尻の穴に指を入れさせるサービス・タイム(!)などを挟んで、クライマックスは上から降りてきた手作りの「カイブツ」とコステスが戦って見事に勝利!ラストはシャンソン調の「僕らは皆同じオマンコから生まれた」。俺が泣いていたことは言うまでもない。-cross beat #83 佐々木 敦-

 

 

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